征東大将軍 (Seito taishogun (literally, great general who subdues the eastern barbarians))

征東大将軍(せいとうたいしょうぐん)は、かつて中国と日本で用いられた将軍の称号である。
数ある大将軍の号の一つで、常に任命されるとは限らない。

倭王武

日本最初の征東大将軍は倭の五王の一人、倭王武である。
梁 (南朝)王朝が開かれた天監元年(502年)の4月に、前王朝(斉 (南朝))で鎮東大将軍に任命されていた百済王余大と倭王武の号が征東大将軍に進められた。
中国の制度にもとづくもので、現地日本においては中国から与えられた称号・格付け以上のものではない。

奈良時代・平安時代の大将軍

日本の律令は、軍防令に大将軍に関する規定をおいた。
奈良時代から平安時代初めには、辺境の戦争の総司令官として様々な称号の大将軍が臨時に任命された。
征東大将軍もその一つで、延暦7年(788年)に紀古佐美が征東大使に任命された。
大使は大将軍と同義である。

その後、940年(天慶3年)に関東で反乱を起こした平将門を追討するために藤原忠文が任命された。

平安時代末期には源義仲(木曽義仲)が征東大将軍(征夷大将軍との説もある)に任命された。

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