石川真守 (ISHIKAWA no Mamori)

石川真守(いしかわのまもり、730年?(天平2年) - 798年10月3日(延暦17年8月19日))は奈良時代中期から平安時代初期の貴族。
蘇我馬子の7代孫にあたる。
中納言石川名足の子。
正四位・参議。

概要

に従五位に初叙。
中務省・越中国国司・少納言・太宰府等を歴任した後、に57歳でようやく参議となり、公卿に列せられる。
蘇我赤兄が壬申の乱で没落した以降の蘇我氏(石川氏)は、藤原氏や諸皇族等に押され気味であった。
嫡流でも50歳を過ぎてやっと公卿(概ね中納言・参議)になるクラスであった。
彼も例外ではなく、曽祖父の石川石足・祖父の石川年足と深く結びついていた藤原南家も藤原仲麻呂の乱により衰退してしまった事もあり、勢いを取り戻す事は叶わなかった。
結果的にの正四位上・参議が極官(位階は石足以降では最も低い)となった。
その後はに刑部省も兼任したが、に薨去した。

石川氏から公卿が出るのも結果的に彼が最後(石川氏は他にも大叔父の石川豊成の系統があるが、中納言を極官とした彼が亡くなって以降振るわなかた)であった。
かって崇仏論争を繰り広げた石上氏(物部氏)と同時期に石川氏も姿を消す事になる。

[English Translation]