楽常慶 (RAKU Jokei)

楽 常慶(らく じょうけい、永禄4(1561年)- 寛永12(1635年)は、織豊時代から江戸時代初頭にかけての陶芸家。
2代楽吉左衛門家当主。

初代の長次郎の実子ではなく、その補佐役であったと考えられている田中宗慶の次男。
但し、長次郎の存命中から父や兄・宗昧と共に楽焼製作に関わっていたとされる。
しかし、長次郎の実子でもなく、また宗慶の長男でもなかった常慶が跡取りとなった経緯については樂家にも良質の史料が伝来しておらず全くの謎である。
千利休が豊臣秀吉と対立して切腹に追い込まれたため、利休に一番関わりの薄かった常慶が当主となったという説もある。

慶長年間以後に本格的に作陶を開始。
古田重然の影響を受け、作為的な造形に特徴がある。
また、それまで還元釉の黒色と酸化釉の赤色しかなかった楽焼に、「白釉」(香炉釉)を導入し、楽焼の作風を広げる業績を残す。

本阿弥光悦と親交があり、光悦に楽茶碗の製作技法を伝授したため、その後光悦作による大量の楽茶碗が残されることとなった。
また、徳川幕府との関係の構築に成功した。
徳川秀忠より「楽」印を拝領、また秀忠が亡くなったときには幕命で墓前の香炉を制作した。
秀忠に捧げた香炉は昭和33年の増上寺徳川家霊廟発掘の際に出土している。

主な作品
黒楽茶碗「黒木」:楽美術館所蔵
赤楽茶碗「菊之絵赤楽茶碗」:楽美術館所蔵 ※茶碗の胴に菊の絵が白釉薬で書かれている
香炉釉井戸形楽茶碗:楽美術館蔵
黒楽茶碗「ホトトギス」:藤田美術館蔵
黒楽茶碗「鉄拐」:適翠美術館蔵
褐釉獅子牡丹置上香炉:東京国立博物館蔵
香炉釉阿古陀香炉
香炉釉向獅子香炉:楽美術館蔵

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