近代社格制度 (Kindai shakaku seido (modern shrine ranking system))

近代社格制度(きんだいしゃかくせいど)とは、明治維新以降、律令制下の延喜式による制度にならって新たに作られた社格の制度である。
第二次世界大戦後、政教分離によって近代社格制度は廃止されたが、今日でも「旧社格」などの名称で神社の格を表すのに用いられている。

歴史
1871年(明治4年)に太政官布告「官社以下定額・神官職制等規則」により制定された。
なお、これ以前の初期段階の社格として神祇官直支配社(大奉幣社・中奉幣社・小奉幣社)や勅祭社(大祭社・中祭社・小祭社)があった。

1946年(昭和21年)2月2日、神道指令により神社の国家管理が廃止されるのと同時に社格も廃止された。
神社本庁ではこれに変わるものとして昭和23年(1948年)に別表神社の制度を制定し、神社本庁被包括の旧官国幣社全てを別表神社として、人事の面で特別の扱いとすることとした。

分類
近代社格制度では、神社の格を大きく官社と諸社に分ける。
なお伊勢神宮は、特別とされるので社格はなく、全ての神社の上に位置するとされる。

官社
官社とは、祈年祭・新嘗祭に国から奉幣を受ける神社である。
官社はさらに官幣社と国幣社に分けられ、それぞれに大・中・小の格が定められている。
官幣社・国幣社をまとめて官国幣社ともいう。

官幣社は神祇官が祀る神社、国幣社は地方官が祀る神社とされた。
官幣社・国幣社という名称や、上記の分類は、律令制の社格にならったものである。
主として官幣社は二十二社や天皇・皇族を祀る神社など朝廷にゆかりのある神社、国幣社は各国の一宮を中心に列格された。
官幣社・国幣社は、実質的には差異はない。
しかし、例祭については、官幣社へは皇室(宮内省)から、国幣社へは国庫から幣帛が供進されたという違いがある(祈年祭・新嘗祭はどちらも皇室から奉幣を受ける)。
また、社殿の装飾に菊の紋章を使用することは、当初は官幣社のみに許されていたが、明治7年に国幣社にも許可されるようになった。

後に、官幣社にも国幣社にも分類できない官社(当時の国家に功績を挙げた人物を祀る神社など)として別格官幣社の制度が導入され、明治5年に湊川神社が初の別格官幣社に列格した。
別格官幣社は官幣小社と待遇の上では同じである。

国幣大社は当初は存在せず、大正4年に国幣中社の気多大社などが昇格したのが最初である。

諸社
諸社は府県社・郷社・村社・無格社に分類される。

府県社は府県から奉幣を受け、郷社は府県または市から奉幣を受けた。
藩社は藩より奉幣を受ける神社だが、社格は定められたものの廃藩置県により藩が消滅したため列格した神社はない。
このうち郷社は社格であると同時にある特定の行政機能をもつ神社でもあった。
それは氏子調における中心となる神社で、江戸時代の宗門改の檀那寺にかわるものとして設定された。
出生や住所の移動の際には守札の発行などをうけなければならなかった。
通常の意味での社格とは異なるため、官国幣社や府県社でありながら郷社であるものもあった。
村社はこの制度のもので郷社に付属するものとして設定されたものであった。
のちに氏子調の制度が廃止されたために郷社の行政機能は無くなり、純粋な意味での社格となった。
無格社は、法的に認められた神社の中で村社に至らない神社であり、社格を有する神社と区別するために設けられた呼称であるが、一種の社格とも考えられている。
無格社といえども氏子を有した神社も多々あり、独立神社としては何ら他の神社と変わることはなく、幣帛供進の有無の違いだけである。
しかし一方で規模の小さな神社は明治末期の神社合祀の犠牲になり廃社とされた。
昭和13年の調査でもなお、無格社の数は60496社あり、凡そ神社の半数を占めている。

また明治40年からは府県郷をはじめ村社(指定神社以上)にも、例祭に地方公共団体からの神饌幣帛料の供進をうけることができることとなった。
さらに大正3年4月からは祈年祭・新嘗祭にも神饌幣帛料を供進できることとなった。

社格の順
官国幣社(官社)については、官幣社は国幣社よりも格が上とされ、それぞれが大・中・小の順である。
官幣中社と国幣大社はどちらが上なのかなどについては明確な規定はないが、神道辞典などの資料によると以下の通りである。
また別格官幣社は国家皇室の忠臣を祭神とする性質上、官幣小社と同等の待遇をうけたが、国幣小社よりも上位であったということではない。

官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>別格官幣社

諸社(民社)については、府社=県社=藩社>郷社>村社>無格社の順である。

これらの細かい社格の区別は大して実質的な待遇の差異を伴わず、特に官国幣社においては官幣社と国幣社の区別の意義などははっきりしなかった。
これらに代わる整備された社格制度を作ることを考えられたが、成立するに至らなかった。
制度上はともかく最終的に、実質的な待遇を見た場合には、官国幣社、神饌幣帛料供進指定神社(府県社と郷村社の一部)、それ以外の神社の3段階の社格となったということができる。

その他

社格ではないが、護国神社で民立の神社と政府の保護を受けた神社を区別するため、後者を内務大臣指定護国神社とした。

東京十社
勅祭社

伊勢神宮のみ、国家神道の頂点に位置する神社として位置づけられているため、格付けはなされていない。

[English Translation]