足利庄 (Ashikaga no Sho)

足利庄(あしかがのしょう)は、下野国足利郡(栃木県足利市)にあった荘園。
荘域は足利郡全域と安蘇郡の一部(赤見郷)。
『延喜式』には下野国足利駅、『和名類聚抄』では足利郡駅家郷と記されている。

概略
藤原秀郷流の足利氏 (藤原氏)が領し、平安時代の仁安 (日本)年間には平氏が領する。
源氏の源頼朝により藤姓足利俊綱が滅ぼされると、源姓足利氏が領して地頭職を歴任する。
室町幕府が成立すると要地となり鎌倉府に管理される。が、
応永16年(1409年)の足利満兼の死後には幕府直轄地となり、幕府管領の被官が代官として派遣された。
将軍義教と鎌倉公方持氏の対立おいては、持氏が横領する事件も起こる(永享3年に和睦)。

1137年(保延3年)

源義国が源義家から伝えられた開発地を、安楽寿院(鳥羽上皇が建てた寺)に寄進(八条院領)。
足利荘が成立

1150年(久安6年)

- 源義国、足利荘に下向(源姓足利氏のはじまり)

1333年(元弘3年)

- 鎌倉幕府滅亡

1338年(延元3年)

- 足利尊氏が京都(室町)に幕府を開く

1439年(永享11年)

上杉憲実が足利学校を再興、書物を寄進

1869年(明治2年)

足利藩主戸田忠行版籍を奉還、藩知事となる

1871年(明治4年)

廃藩置県で、足利県となる。
11月に栃木県となる

[English Translation]