紫香楽宮跡 (Ruins of Shigaraki no Miya Palace)

紫香楽宮跡(しがらきぐうし、しがらきのみやあと)とは、滋賀県甲賀市信楽町黄瀬・牧に在る国史跡。

概要

聖武天皇が天平17年(745年)に遷都した紫香楽宮(しがらきのみや)の跡に比定された。
大正15年(1926年)に史跡として約33000mに指定された。

しかし、現在では東大寺に先駆けて紫香楽宮で大仏建立を行った甲賀寺または近江国国分寺跡と推測される。
実際には同町宮町で紫香楽宮の跡(宮町遺跡)が発掘されている。

また、信楽には地元の伝承で、勅旨にも保良宮があったという話もある。

この遺跡では、300あまりの礎石が残るなど遺構の保全状態は良好であり、礎石の配列から東大寺の伽藍配置と同様の建物配置を持つこと。

この史跡から出土している軒丸瓦が3種類、軒平瓦が2種類の内、創建期とされる瓦がある。
これらは、恭仁宮大極殿造営に際して新調された瓦をモチーフとした単弁十七葉蓮華文の軒丸瓦と均整唐草文の軒平瓦である。
恭仁宮廃都後に建立された山城国分寺の塔跡と同笵瓦であることが確認されていることから、寺院であることは疑いない。

遺跡の北東約600mには平成12年(2000年)~14年(2002年)にかけて、新名神高速道路建設に関連して発掘された鍛冶屋敷遺跡が有る。
また、この遺跡は、紫香楽宮跡の近くにある。
その他に、遺跡周辺で、当時作られた信楽製のるつぼが多数見つかっている。
この坩堝(るつぼ)は、銅を混ぜた合金を作るのに使われたといわれている。
(坩堝は、江戸時代に使用された真鍮を溶解した「梅干壷」と呼ばれるものである。
大仏建立に関連した奈良時代のものではない。
大仏鋳造や寺院などの大型品の鋳造では、坩堝は用いず溶解炉から直接鋳型に流し込み技法であったことが考古学的にも立証されている。)

また、東海自然歩道がこの史跡を縦断しており、東海自然歩道の観光史跡の一つとして挙げられている。

"しがらきぐうし"であれば「紫香楽宮阯」と書くべきだが、紫香楽宮跡で"しがらきぐうし"と読むことになっている。

交通アクセス

信楽高原鐵道信楽線に紫香楽宮跡駅がある。
また、散策路入り口には信楽高原バスの宮跡というバス停留所が在る。

[English Translation]