第4次伊藤内閣 (Fourth Ito Cabinet)

概要
これまでの3度の伊藤内閣と異なり、伊藤系官僚と旧憲政党によって結成された立憲政友会を与党とする事実上の政党内閣である。
10月1日に同党が結成されると、前首相山縣有朋が結党直後の同党を揺さぶるために総裁に就任した伊藤に強引に政権を押し付ける形で成立した。
外務大臣 (日本)と軍部大臣以外は全員が政友会に入党していた。
だが、山縣は大日本帝国陸軍と貴族院_(日本)を利用して政友会攻撃を行い、明治天皇の詔書によって漸く事態を収拾した。
加えて政友会の実力者であった逓信大臣星亨が汚職で辞職に追い込まれると、未だに融和が進んでいなかった伊藤系官僚と旧憲政党系の意見対立が露呈する。
一方、政友会内部では鉄道の新規着工を要求する予算を求める声が上がり、それを新しい逓信大臣であった原敬が必死に押止めていたが、そんな折に渡辺国武大蔵大臣が「公債に依存した事業の全停止」提案した。
当時、鉄道敷設法によって鉄道建設は鉄道公債の発行によって全て賄うこととされており、この提案は新規どころか既存の鉄道工事も全て停止すると言っているのにも等しかった。
これに激怒した原や他の閣僚達の抗議を受けた渡辺が孤立するに至って伊藤は辞任を表明、5月10日から班列であった西園寺公望枢密院議長が臨時首相を務めた。

国務大臣

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