租庸調 (So-Yo-Cho)

租庸調(そようちょう)は、中国及び日本の律令制下での租税制度である。

日本の租庸調

日本の租庸調制は、中国の制度を元としている。
日本の国情に合わせて導入されたものである。

律令制を整え発展した唐と連合し,その律令制を受容することで強大化した新羅が,百済・高句麗を滅ぼした。
ついには唐をも朝鮮半島から排除して,朝鮮半島の統一的支配を確立する。
このような7世紀の東アジアの激動を背景として,倭(天武天皇による国号制定以後日本)では中央集権的律令国家建設の必要性が生じた。
このような文脈において,唐からの律令摂取に伴い租庸調制は導入された。

日本の税体系は,10世紀頃の籍帳支配崩壊に伴う公地公民制の崩壊をうけて,課税が個別的人身賦課方式から土地賦課方式へ転換されるまで,人頭税を財源の中心とするものであった。
土地税の租は,課税対象確保のための農民の最低生活の保障の意味で,低率に抑えられていた。
庸調などの人頭税は,財源の中心と位置づけられており,民衆にとっては極めて負担過重なものであった。
このため,税回避のための浮浪や逃亡,偽籍などが頻発した。
このことは,口分田の荒廃をもたらし,班田制動揺の一因となった。


租は、田1段につき2束2把とされ、これは収穫量の3%~10%に当たった。
原則として9月中旬から11月30日までに国府へ納入された。
災害時用の備蓄米(不動穀)を差し引いた残りが国衙の主要財源とされた。
しかし、歳入としては極めて不安定であった。
よって律令施行よりまもなく、これを種籾として百姓に貸し付けた(出挙)利子を主要財源とするようになった。
一部は舂米(臼で搗いて脱穀した米)として、1月から8月30日までの間に、京へ運上された。
(年料舂米)

律令以前の初穂儀礼に由来するのではないか、とする説もある。


正丁(21~60歳の男性)・次丁(正丁の障害者と老丁(61歳以上の男性))へ賦課された。
元来は、京へ上って労役が課せられるとされていたが(歳役)、その代納物として布・綿・米・塩などを京へ納入した。
このものを庸といった。
京や畿内・飛騨国(別項参照)へは賦課されなかった。
現代の租税制度になぞらえれば、人頭税の一種といえる。

庸は、衛士や采女の食糧や公共事業の雇役民への賃金・食糧に用いる財源となった。

調

正丁・次丁・中男(17~20歳の男性)へ賦課された。
繊維製品の納入が基本であり(正調)代わりに地方特産品34品目または貨幣による納入も認められていた(調雑物)。
これは中国の制度との大きな違いである。
京へ納入され中央政府の主要財源として、官人の給与(位禄・季禄)などに充てられた。

京や畿内では軽減、飛騨では免除された。

正調

調の本体であり、繊維製品をもって納入した。
正調は大きく分けて絹で納入する調絹(ちょうきぬ)と布で納入する調布(ちょうふ)に分けることが出来る。
当時において、絹は天皇などの高貴な身分の人々が用いる最高級品であった。
その製品は「布」とは別の物とされていた。
従って当時の調布とは、麻をはじめ苧・葛などの絹以外の繊維製品を指していた。

時代によって違うものの、大宝律令・養老律令の規定に基づけば以下とされていた。
調絹は長さ5丈1尺・広さ2尺2寸で1疋(1反)となし、正丁6名分の調とする。

調布は長さ5丈2尺・広さ2尺4寸で1端(1反)となし、正丁2名分の調とする。

実際の運用においては、養老年間に改訂が行われ、以下の規定が定められた。
調絹は長さ6丈・広さ1尺9寸で1疋(1反)となし、正丁6名分の調とする。

調布は長さ4丈2尺・広さ2尺4寸で1端(1反)となし、正丁1名分の調とする。

これを元に徴収が行われていた。

特に美濃国で作られた絁(絹織物)である美濃絁と上総国で作られた布(麻織物)である望陀布は、古くから品質は上質とされた。
かつ東国豪族の忠誠の証を示す貢納品としても評価された。
「東国の調」と呼ばれて古くから宮中行事や祭祀に用いられてきた。
このため、美濃絁・望陀布に関する規定が特別に設けられていた。

調副物

調に付属した税。
正丁のみ紙や漆など工芸品を納めた。

調・庸・調副物は京に納入された。
納入する人夫を運脚といった。
かかる負担は全て自弁であり大きな負担となった。

註:飛騨は調・庸を免除され替わりに匠丁(しょうてい、たくみのよほろ)を里ごと10人1年交替で徴発した。
いわゆる飛騨工(ひだのたくみ)である。
匠丁は木工寮や修理職に所属して工事を行った。

中国の租庸調

中国の租庸調は、北周に始まり、唐で完成した。
以下は、唐における租庸調である。


均田制に基づく田地の支給に対して、粟(穀物)2石を納める義務を負った。
これが租である。


律令においては、年間20日の労役の義務があり、それを免れるために収める税が庸であった。
労役一日に対し絹3尺あるいは布3.75尺を収めることとされていた。

調

調は、絹2丈と綿3両を収めることとされていた。

[English Translation]