石鏃 (Sekizoku (a flint arrowhead))

石鏃(せきぞく)は石器の一種で、石製の鏃(やじり)、矢尻とも書く。

縄文時代に弓矢の使用とともに現れ、縄文・弥生時代時代において主に狩猟具として使われた。

石鏃を、底辺(基辺)の形状が直線になっているものを平基、くぼむものを凹基、突出するものを凸基の3種に分けられる。
更に、茎(なかご)の有無で分けると、全体を平基(無茎)式、凹基(無茎)式、凸基無茎式、凸基有茎式の4形式に分類することができる。

石鏃と同じような石器に、旧石器時代の尖頭器がある。
木葉形尖頭器が突槍 (lance) で、有舌尖頭器が投げ槍 (dart) である。
前者の方は、長さ・重さの変化の幅が大きい。
後者の方はその幅が小さい。

縄文時代の鏃は、厚みが薄く、三角形である。
それに比べ、弥生時代中頃の近畿地方の鏃は分厚くて重く、中には三角形のものもあるが、大多数は木の葉型である。
重さは、鉄や青銅の鏃に匹敵するという。
重いほど打撃力が増す。
縄文時代にはシカやイノシシを獲るには軽く、速く、遠くへ飛ぶ鏃で充分有効であった。
しかし、弥生時代に入っても初めのうちは軽い鏃を使っていたが、紀元前1世紀から1世紀ごろの近畿地方から香川県にかけて形が大きく重さも重くなり、深く突き刺さる鏃が現れるようになった。
つまり、武器としての使用も増えた。

石鏃は、縄文の初めから弥生前期まで一貫して大多数が2グラム未満、1~3センチメートルの範囲に収まっている。
このことから、長期にわたって狩猟具が、特に大きな変化がなかったといえる。
それが突如として弥生中期に、深く突き刺さりやすい形の石鏃が高地性集落の出現とともに近畿地方に出現し、大量に出土している。
このような状況からみて、狩猟具が武器に変質したと考えられる。

吉野ヶ里遺跡で発掘された甕棺の中から多くの鏃が突き刺さった一体の人骨が見つかっている。
それらの鏃は、部分的に磨いた石鏃、打製の石鏃、サメの牙で造った鏃などが10本刺さっていた。

製造方法

材料は黒曜石や粘板岩、頁岩が多い。
剥片石器に属する。
写真は突起をともなわない石鏃(無茎石鏃)であるが、矢の先端の反対側に突起(茎)をもつものもあり、これは有茎石鏃と呼ばれる。

縄文時代では、原石を打ち欠いて剥片をつくり、それに細部の調整を加えて製作した。
ほとんどが打製石器に属する。
弥生時代以降から側縁に磨きをかけた磨製石器としての石鏃が増える。

矢柄への取り付け

矢柄(やがら)への取り付けは、管状の植物の凹み部分などを利用し、ヒモなどで縛ったものであろうと考えられる。
有茎石鏃の場合は、突起部分を凹み部分とかみあわせて強度を増したものであろう。
なお、東北・北海道地方では、石鏃からアスファルトが検出される場合も多く、秋田県の油田から湧出する天然アスファルトが交易の結果、北日本一帯に流通していたことが判明している。

石銛

石鏃を漁猟具として使用した例もある。
その場合は、骨角器である回転式離頭銛の先端に付けたものと考えられている。
しかし、沿岸部ではまれに有茎石鏃に似ているが基部(茎の部分)が太く、粗いつくりの打製石器が出土することがある。
これは石鏃と区別して石銛と呼んでいる。
石銛は出土量そのものが乏しいので、使用法も含めて解明されていない部分が多い。

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