焙烙火矢 (Horokuhiya)

焙烙火矢(ほうろくひや)は、戦国時代 (日本)の日本で考案、使用されていた兵器。
なお、現在世間一般で言われている焙烙火矢は焙烙玉(後述)のこと。

概要

焙烙玉の導火線に火を点けて、火縄銃の30匁筒など大筒に詰めて放ち、敵兵の殺傷を主目的とした兵器。
付随して周辺の木造部分へ引火することもある。
現代でいう焼夷弾に似た兵器であるが、爆発力や容器の破片での殺傷が主目的で、炎での攻撃は威力が低かったと思われる。

雑賀衆が船上などで用いていた事で有名。

焙烙玉とは、料理器具である焙烙、ないしはそれに似た陶器に火薬を入れ、導火線に火を点けて敵方に投げ込む兵器。

手で直接投げたり縄を付けて遠心力で投げたりする手榴弾の様な物。

こちらは雑賀衆の他に村上水軍、乃美水軍(浦水軍)、児玉水軍などの瀬戸内水軍も使用していた。

これらの兵器に対抗する為に織田信長が九鬼嘉隆に命じて鉄甲船を開発させた。

また、黒色火薬の火力を推進力として利用した原始的なロケットのような兵器を指して言う場合もあり、その中には標的に着弾した時に焼き払ったり爆発するように燃焼物や火薬を仕込むものもあった。
こうした兵器は、おそらくは中国の神火飛鴉などの同様のロケット型の兵器(火箭)を糸口にして作成されたと考えられる。

西洋諸国のように大形の大砲を製造できるほどにまだ鋳造技術が優れていなかった当時の東アジアでは、こうしたロケット型の兵器が攻城戦や海戦で比較的多く導入された。
そもそも、建築物や軍船のほとんどが木製だったため、衝突力を主な攻撃力とする大砲よりも燃焼力、爆発力を利用した攻撃が有効だった。
こうした理由から攻城戦や水上戦で防御施設や船を焼き払うことができるために重要な戦力となった。

焙烙火矢、焙烙玉が使用されたとする戦い

厳島の戦い
第一次木津川口の戦い
第二次木津川口の戦い
大塩平八郎の乱

[English Translation]