河原者 (Kawaramono (discriminated position))

河原者(かわらもの)は、河原人とも呼ばれ、中世日本の代表的な被差別民の一つである。

従事した職業

彼らの生業は屠畜や皮革加工で、河原やその周辺に居住していたため河原者と呼ばれた。
それらの地域に居住した理由は、河原が無税だったからという説と、皮革加工には大量の水が必要だからだという説とがある。
ちなみに、当時は屠畜業者と皮革業者は未分化であった。
それ以外にも、河原者は井戸掘り、歌舞伎、運搬業、行商、造園業などにも従事していた。

善阿弥

河原者の中で最も著名なのが、室町幕府の八代将軍足利義政に仕えた庭師の善阿弥で、銀閣寺の庭園は彼の子と孫による作品である。
その他、京都の中世以降の石庭の多くは河原者の作である。

別名

河原者は、穢多や清目と称される事もあった。
ここでいう穢多は江戸時代のそれとは異なる。

論争

中世の被差別民は一般的に非人と称されたが、河原者がその中に含まれるかどうかについて、論争が行われている。

河原者のその後

近世初頭、豊臣秀吉、徳川政権によって固定的な被差別身分が編成された際に、河原者はその中に組み込まれたと言われる。
近年、中世の河原者の居住地と、近世の被差別民の居住地が重なる例が京都や奈良を中心に報告され、部落の起源論争の大きな焦点となっている。
これを理由に、部落の中世起源説を支持する人々もいる。

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