峰山海軍航空隊 (Mineyama Naval Air Squadron)

峰山海軍航空隊(みねやまかいぐんこうくうたい)は、大日本帝国海軍の部隊の一つ。
中練教程の搭乗員の教育を推進するため、予科練卒業生への実機練習を推進した。
部隊が駐留した旧河辺村(大宮町を経て現・京丹後市)に隣接する峰山町(現・京丹後市)の表記に合わせて「峰山」と表記する例が多いが、当時の隊員らは「峯山」と表記することが多い。

沿革
日華事変の泥沼化に加え、張鼓峰事件とノモンハン事件が相次いで勃発したことから、海軍はソビエト連邦に対する迎撃策を講じることになった。
舞鶴鎮守府隷下の舞鶴海軍航空隊は偵察部隊であるため、舞鶴軍港の防空に必要な陸上機が駐留できる基地として、中郡 (京都府)京丹後市に河辺飛行場を造成した。
太平洋戦争中期に、逼迫する航空要員の大量育成を図るため、全国各地に訓練部隊が増設された。
後方基地として遊休化していた河辺飛行場に目をつけた海軍は、ここに中練教程練習航空隊を設置することにした。

昭和19年(1944年)
3月15日 美保海軍航空隊第二美保海軍航空隊峰山分遣隊開隊。
三重海軍航空隊より予科練特乙3期卒業生入隊。
同年8月卒業。

7月25日 美保海軍航空隊第一美保海軍航空隊より予科練甲13期前期卒業生入隊。

9月20日 奈良海軍航空隊より予科練甲13期前期卒業生入隊。

昭和20年(1945年)
1月頃 豪雪のため飛行訓練不能、福岡海軍航空隊に疎開し訓練続行。

2月1日 第二美保空の解隊にともない姫路海軍航空隊峰山分遣隊に変更。

2月5日 奈良空より予科練甲13期後期卒業生入隊。

2月20日 飛行訓練凍結・特攻編成開始、「飛神隊」と命名。
選外の隊員は峰山へ帰還。

3月1日 独立し「峰山海軍航空隊」開隊。
第二十連合航空隊に編入。

5月5日 福岡の特攻要員と本隊要員の一部、霞ヶ浦海軍航空隊に転出、特攻訓練・戦備作業に従事。

5月中3回の墜落事故。

6月5日 宮津湾で駆逐艦「初霜 (初春型駆逐艦)」を標的とした夜間爆撃訓練中、1機墜落。

6月6日 海軍陸戦隊編成開始。

6月30日 舞鶴軍港・宮津湾・河辺飛行場に敵機動部隊艦載機襲来、銃爆撃で機体・施設に被害。

7月14日 飛神隊「忠」部隊、鹿屋航空基地に進出。

7月19日 飛神隊「礼」部隊・「武」部隊、岩国飛行場に進出。

7月27日 飛神隊「義」部隊、岩国に進出。

終戦後、武装解除・解隊。

峰山から前進した飛神隊は出撃する機会がないまま終戦を迎えたが、卒業生の一部は実際に出撃している。
飛神隊を送り出したあとの飛行場は、本土決戦時の特攻作戦に従事する予定で編成された各地の特攻隊が駐留し、最終的には峰山空要員とほぼ同じ人数に膨れ上がった。
終戦後の残務処理は整然と進み、田結穣舞鶴鎮守府司令長官もその手際を絶賛したという。
戦後は民間に払い下げられ、滑走路は農地・宅地となった。
弾薬庫が放置されているほか、格納庫が繊維工場の倉庫として現存している。

主力機種
九三式中間練習機ほか練習機多数。

[English Translation]