山陽鉄道列車強盗殺人事件 (Robbery and Murder on the Sanyo Railway Train)

山陽鉄道列車強盗殺人事件(さんようてつどうれっしゃごうとうさつじんじけん)とは、明治中期に発生した強盗殺人事件である。
また当時の大阪朝日新聞の報道によれば日本に鉄道が開業して以来初めて列車内で発生した殺人事件として大々的に報じられた。
公式な記録はないがおそらく日本初であることは間違いないといえる。

事件の概要

(以下は一世紀前の事件であり、実名表記とする)

事件発覚

1898年(明治31年)12月2日の深夜、前日の午後6時24分に官鉄大阪駅を出発し三田尻駅(現在の防府駅)に向かっていた下り夜行列車があった。
午前2時46分に山陽鉄道(現在の西日本旅客鉄道山陽本線)の福山駅に停車したところ、二等客車(二軸客車197号車)で、大日本帝国陸軍第12師団福岡連隊中隊長であった足立直躬大尉(当時45歳)が惨殺されていた。
足立大尉は病気療養をしていた鳥取県の帰省先から勤務地である福岡県に戻る途中だった。
足立大尉は上郡駅から乗車しており、護身用の拳銃や短刀を所持していた。
寝込みを襲われた為か、その武器を使った反撃をできず殺害されていたとみられた。
また、所持金などは奪われていなかった。

被疑者逮捕

これより先、岡山県にある鴨方駅近くの浅口郡六条院村(現在の里庄町)にある、六条院派出所に男が宿を斡旋してほしいと言って来ていた。
彼は全身ずぶ濡れのうえ、脱いだ衣類を小脇に抱えていた為、警察官は無賃乗車もしくは窃盗犯とみて詰問していた。
「私は殺していない。殺したのは元吉だ」と口を滑らしたことから、列車内で殺人事件が発生したことが判明した。
この男、中島多次郎(当時23歳)の供述から鴨方駅の駅舎待合室にいた岩永元吉(当時23歳)を拘束した。
その直後に福山駅から殺人事件の一報が入ったことから、事件が露見した福山の警察署に送致された。

事件の概要

犯人2人は岡山県の岡山共立絹糸紡績会社の職工であった。
2人は11月30日に給料を受け取った後、福山に遊びにいって一泊していた。
12月1日の夜に上り列車に乗車し金銭を奪う計画を立てたが、何も出来ずに鴨方駅で降りた。
相手を物色するために鴨方駅を午前2時01分に発車する下り列車の三等切符を購入していた。
ここで足立大尉一人だけが乗車していた二等客車を確認して2人は乗り込んだ。

足立大尉が寝込んでいたのをもっけの幸いとして金品を物色していた。
この時岩永が大尉の喉に匕首を振り下ろした。
この時足立大尉は必死の反撃をし格闘したが、中島も持っていた短刀で加勢し2人で滅多突きにして殺害した。
中島は小心者であったため、狼狽し走行中の列車から飛び降りた。
中島は怪我をしなかったが線路脇の泥溝にはまりずぶ濡れになった。
冬の深夜であり寒さが身にしみ、この後派出所に行ったために事件が露見した。
一方の岩永もあわてた為か足立大尉の金品を奪わないまま、列車から飛び降りて鴨方駅に戻った。
次の上り列車に乗る為に待っていたところを逮捕された。
一連の犯行は鴨方駅西方2.1Kmまでの走行中の車中で行われたとされている。

事件の背景

深夜、足立大尉が一人でいたことが不運であったが、事件の背景に乗車していた二軸客車の構造的欠陥があったと指摘された。
これは二軸客車は、車体が小型であるため定員も32人であるうえ、隣の客車に行くための貫通扉がなかった。
そのため走行中は車掌の目が届かないこととなり「走る密室」となった。
そのうえ夜行列車の一等や二等客車は乗客が少ないことから、犯罪被害を受けても他人の助けを得ることが出来なかった。

事件後、このことから乗客の多い三等客車に殺到し、上級客車ががら空きという状況が生じた。
そのため山陽鉄道は防犯対策として、夜行列車にボーイを乗車させ巡視させるとともに、貫通扉のある大型客車の製造を進めたという。
この結果、上級客車の客足も元に戻ったという。

犯人のその後

2人組は起訴され、岡山地方裁判所は1899年2月27日に岩永に死刑、中島に無期徒刑(無期懲役)を言い渡した。
しかし中島は検事が控訴したことから大阪控訴院(現在の大阪高等裁判所)で審議され、5月3日に原判決を破棄し死刑判決を言い渡された。
そのため被害者1人に対し2人組ともが死刑になる厳罰判決が確定した。
2人は大阪堀川監獄署で死刑が執行された。

類似する事件

12月8日には同じ山陽鉄道で、姫路駅を出発した三等客車に乗車していた芸妓(当時16歳)が、二軸客車で30歳ぐらいの男と二人きりになった。
これは強盗であり持ち物を奪われた上に車外に放り出された。
幸い落ちたところが泥田であったため怪我しなかった。
犯人は特定できず未解決事件となった。

備考

岡山県出身の作家内田百間の『汽笛一声』で、この事件を元に「鴨方の大尉殺し」という芝居が仕組まれていたとの記載があるという。

[English Translation]