寛平御記 (Kanpyo gyoki)

寛平御記(かんぴょうぎょき)は、宇多天皇の日記。
『宇多天皇御記』ともいう。
現存する天皇の日記として最初のもので、『醍醐天皇御記』『村上天皇御記』と共に「三代御記」と呼ばれた。

『貫首秘抄』に、摂関・蔵人らが天皇の御作法や政治への顧問、幼帝の教育の方法を知るための必見の書と書かれている。
また、近衛兼経は、『岡屋関白記』で、以下のように評している。
「毎事殊に勝れ、古事眼前に在るが如し。」
「臣下の得失、政道の奥旨、詩歌の興、大旨此御記に在り」(寛元4年(1246年)閏4月9日条)

『花園天皇宸記』正和2年(1313)10月14日条に「今日寛平御記十巻、一見了」と記されていることから、当時10巻が伝存していたことがわかるが、現在は1巻も残存していない。

また、『西宮記』『扶桑略記』等の逸文から、宇多天皇践祚当日の仁和3年(887年)8月26日から譲位した寛平9年(897年)7月3日までの10年間に50余条が確認される。

内容は、藤原基経の示威事件である阿衡の紛議の顛末といった政治的なことや、父光孝天皇より譲られた黒猫のことなど、天皇の日常や感情の一端が窺える。

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