大和国 (Yamato Province)

大和国(やまとのくに)は、かつて日本に設けられた地方行政区分の令制国の一つである。
畿内に含まれ、延喜式での格は国司国等級区分。
領域は現在の奈良県にあたる。
別称は和州(わしゅう)。

初めの頃は大倭と書かれ、奈良時代の天平9年から10年間大養徳と字を改めた事がある。
「大和」という表記が正式に決定されるのは天平宝字2年以後とされる。

地域名としての大和は大和を参照。

国府
国府は、葛上郡掖上(現在の御所市東北部)の地にあったが、平城京遷都に伴って高市郡の軽の地(現在の橿原市大軽町と石川町の接点丈六、ここを軽の衢という)に移った。
国府は数ヶ所が推定されているが不明。
守護所は設置されず、興福寺がその役割を果たしていた。

易林本の節用集では、十市郡に府と記載ある。

一宮、国分寺など
国分寺は東大寺とするのが一般的だが、橿原市の満法院とする説もある。
国分尼寺は法華寺である。

延喜式神名帳には大社128座(うち名神大社47座26社)・小社158座の計286座が記載されており、全て官幣社である。

一宮は桜井市の大神神社だが、神社が自ら一宮を称した文書は見つかっていない。
二宮以下はなし。
惣社は国府神社(奈良県高市郡高取町下土佐)。

[English Translation]