品部 (Shinabe (Technicians in Offices))

品部(しなべ/ともべ)とは、「しなしなのとものを」あるいは「とものみやつこ」の和訓を持つ古代日本の人的集団・組織のこと。

複数の部民制あるいは部全体の総称。

大化前代においては、朝廷に直属する部民(職業部・名代)のこと。

大化以後及び律令制において官司に配属されて宮中で用いる物資の生産・技術伝習にあたった人々。
大化前代の職業部の後身とされる。

上記のように複数の意味を有する。

大化前代においては、伴造などの豪族に率いられて朝廷(ヤマト王権)に様々な物資あるいは労働力の形で奉仕を行った。
また、5世紀後半以後に渡来した渡来人の技術者集団の中には品部に属した者が多いとされている。
大化の改新以後、一部は廃止されるが残りは再編されて官司に付属され、貢納の一環として宮廷で用いる奢侈品や特殊な技術を必要とする工業製品の生産を義務付けられるようになる。
学術的には同様の組織である雑戸と合わせて品部・雑戸制(しなべ・ざっこせい)とよぶ場合もある。
しかし、軍事関係の技術労働に従事して一般の戸籍とは違う雑戸籍に編入された雑戸とは違って、法的には良民と同じ扱いとされていた。

品戸は畿内及びその周辺諸国に在住し、恒常的な貢納を義務付けられた常品部(つねのしなべ)と臨時の徭役労働に近い形態を有した借品部(かりのしなべ)に分けられた。
狛戸及び染戸の一部は毎年一定量の料物を貢納したが、その他は1戸あたり1名が一定期間の交替制か臨時に官司に上番して労役を行うか一定量の製品を貢納した。
その代わりとして戸内の課役の一部もしくは全てが免除され、兵役からも除外された。

ところが奈良時代に入ると、養老5年(721年)に主鷹司の品部廃止が行われ、続いて天平宝字3年(759年)に高度な技術を要する「世業相伝者」以外の品戸は原則廃止されて公戸に編入(一般の公民扱い)された。
その後も品戸の廃止が続き、平安時代の『延喜式』には鼓吹司にのみ品部が設置されている。
これは古い部民制の残滓である品部そのものが律令制と相容れなかったこと、律令制の衰退によって品部の維持が困難になってきたこと、社会経済水準の向上によって民間からの調達・雇役が可能になったこと(この場合の民間には旧品部の商工業者からの調達を含む)が複雑に絡み合っていたと考えられている。

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