古都保存協力税 (Kyoto Old Capital Preservation Cooperation Tax)

古都保存協力税(ことほぞんきょうりょくぜい)は、かつて京都市が制定した税条例に基づき実施された地方税のひとつである。
以下、古都税と呼ぶ。

地方税制について

税が成立した場合、地方自治体の財布(財政)に入るお金が生じ納税者の財布(家計)からは出るお金が発生する。
また自治体の財布から出ていく金は行政の業務コストとなり、住民は自治体の行政サービスを享受して還元してもらう。

この流れをつくる地方税制は一定の形式によらなければ成立しない。
一定の形式とは税の徴収時期、徴収対象、徴収方法、徴収金額などを法律で定めておくというものである。
納税者に税を理解してもらい不満を和らげてもらうには必要な形式である。
同時に税の趣旨から行政が一律に納税者より徴税する形式が実情にそぐわない場合もある。
このため税法は例外の措置、時限立法を設けている。

例えば不動産を取得している場合にかかる固定資産税は基本的に学校や宗教施設の場合は課税しないというものがある。
古都税を制定した京都市も学園都市であり寺社仏閣を市内に抱えている。
左記の団体から固定資産税は歳入(財政に入るお金)へ入らない。

また時限立法とは税制の見直しをするために期限を設け、廃止すべきか継続すべきかを判断させるものである。
よって、幅はあっても弾力的な運用が求められる。
それでも税が成立すると行政は大きな権能を持つ。
そのため、立法には成立までの十分な見立てが必要となる。

古都税とは

都道府県や市町村は公共サービスへの対価として住民から税金を徴収する。
「地方税法」は、地方自治体が住民から徴収できる税のかたち(税目)を定めている。
また、同法は自治体が独自の税目を創設できる旨も規定している。
古都税は京都市が作った条例に基づく。

古都税を創設したのは当時の京都市の市長であった今川正彦だった。
氏は同税は住民に対する税金ではなく、京都市内の寺社建物へ支払う拝観料へ課税し文化財を保護する市への協力を拝観者へ依頼するものと市議会へ説明している。
実施してから向こう10年間、対象寺社の拝観者は窓口で大人50円、小人30円を拝観料にプラスして支払う。
対象寺社は特別徴収義務者として市へ納める特別徴収である。

これに対して、自治体の財政収入を市外からの来訪者へ負担してもらうのは応益の原則に反しているのではないかとの意見もあった。
拝観は宗教行為であるとする観点から、拝観料への課税は信教の自由を保障する憲法違反ではないかとする意見もあった。
今川市長が古都税を入れた動機には、かつて京都市が古都税以前にも同類の観光税を実施していた例があるとされる。

1956年、京都市で文化観光税(正式には文化観光施設税。通称は文観税)が実施された。
岡崎の京都会館はこの文観税の賜物である。
7.5年の時限立法であったたため、1964年に市は再び同様の条例を5年の時限立法で創設した。
この際に条例反対の意見があったため当時の高山義三市長は今後同種の税を新設や延長することはないという覚書を反対する寺社と交わしている。

古都税年表

関連年表を以下に記す。

1950年2月8日、京都市長選挙、高山義三当選、革新市政成立(やがて保守へ)。

1950年4月20日、京都府知事選挙、蜷川虎三当選、革新府政成立。

1956年10月1日、京都市文化観光施設税創設実施。

1964年9月1日、京都市文化保存特別税制定。

1985年7月10日、京都市、古都保存協力税創設。

古都税の施行は古都税騒動と呼ばれる政治事件を起こした(経緯を参照)。
1988年3月31日京都市は古都保存協力税を廃止した。

古都税騒動の経緯

1982年3月、京都市財務消防委員会で文化観光税の復活が議論された。
この年の夏、市長は再び文観税を創設する声明を出した。

1983年1月、臨時市議会にて共産党が審議継続を求めるが古都税条例が可決された。
2月に京都市仏教会は条例の無効確認を求めた訴えを京都地裁へ起こした。

1984年7月、京都市は自治大臣へ古都税創設の申請を出した。

1985年1月、京都市仏教会は京都市が古都税を施行した場合に24の寺社が拝観停止に踏み切ると宣言した。
3月度の定例市議会で古都税の初年度収入を含んだ昭和60年度一般会計予算案が可決された。

1985年4月、自治大臣は古都税創設を許可。
但、施行は予定の4月より2か月ずらさせる。
京都市仏教会(およそ100)と京都府仏教会(およそ700)により京都仏教会が設立される。

1985年7月10日、古都税条例が施行される。
京都仏教会に加盟する寺院の一部は拝観停止を実行した(第一次拝観停止開始)。

1985年8月8日、「古都税あっせん会議」(奥田東議長)による仲裁を京都仏教会と京都市は承諾(8.8和解)。
翌日に拝観停止は解除された。
和解案は非公開とされた。

1985年8月10日、京都市長選挙告示日。
今川市長は市長選へ出馬、当選を果たす。

1985年11月11日、「古都税あっせん会議」は最終和解案を京都仏教会と京都市へ提示した。
しかし仏教会は8.8和解の和解内容と異なると反発した。

1985年12月、京都仏教会に加盟する寺院の一部は拝観停止を実行した(第二次拝観停止開始)。
仏教会側は「三協西山」社長の西山正彦を交渉の窓口とした。

1986年3月31日、3ヶ月後に和解できなければ拝観停止を再開するとして拝観停止は解除された。

1986年7月1日、京都仏教会に加盟する寺院の一部は拝観停止を実行した(第三次拝観停止開始)。

1987年1月、西山正彦と今川正彦の和解交渉の会話を録音したテープが寺側から公表された。
録音内容に1985年の選挙についての会話があった。

1987年3月24日、京都地方検察庁は市長が古都税の和解について交渉した過程において利益誘導にあたる事実はないとして不起訴の決定を下した。

1987年5月1日、京都仏教会は拝観停止を解除した。

1987年9月12日、京都仏教会より分離した京都府仏教連合会が発足した。

1988年3月31日、京都市は古都保存協力税を廃止した。

[English Translation]