伏見版 (Fushimiban)

伏見版(ふしみばん)とは、江戸時代初頭に、徳川家康の命により、山城国伏見区の伏見学校の一角に建立された円光寺(現在地は、京都市左京区一乗寺)において開版された木活字版のことである。
また、円光寺版ともいう。

伏見学校は、足利学校第9世の三要元佶を招請して創建したものである。

元佶が出版した書籍は、1599年の『孔子家語』、『六韜』、『三略』が最初である。

1600年には、西笑承兌により、『貞観政要』が出版されている。

1605年には、やはり西笑承兌により、『吾妻鏡』と『周易』が出版されている。

1606年には、元佶によって、武経七書が開版された。
この間に刊行された書籍は、8部80冊である。

1612年の、開山である元佶の没後、臨済宗に属する円光寺は、相国寺の境内に移り、その後、寛文年間(1661年 - 1673年)には、愛宕郡修学院村(現在地)に移転している。

伏見版に使用された木活字は、「円光寺由緒書」によれば、家康から拝領したものであったことになる。
また、現にその木活字の一部は、円光寺活字として、寺に伝存している。
但し、1815年に皆川允が拝借して亡父の遺稿集(『淇園文集』)などを出版した折に、不足の活字を補った。
そのために、新旧二種活字が現存することとなった。

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