スギ花粉症 (Japanese Cedar Pollinosis)

スギ花粉症(すぎかふんしょう)は、スギ花粉によって生じる花粉症である。
スギ花粉症は日本で最も多い花粉症で、国民の15%が患っている。
日本ではスギ花粉は2月から4月まで飛散するため、スギ花粉症の患者はこの時期に急増する。

一方、スギが少ない欧米等ではスギが原因となる花粉症は少ない。
しかし、スギがないはずの欧米でも、スギ花粉も花粉症の原因になるとよく言われる。
その原因の一つにcedar をスギと訳したため、という説が挙げられる。
ちなみにcedarはヒノキあるいはマツの仲間の針葉樹を意味する。
(例:ウエスタン・レッド・シダーはヒノキ科ネズコ属)。

世界的には、ヨーロッパのイネ科花粉症・北アメリカのブタクサ花粉症と並んで世界三大花粉症の一つとなっている。

スギ花粉症の歴史

かつて日本には花粉症は存在しないといわれていたが、1961年に荒木英斉がブタクサ花粉症を報告した。
その後、1963年に齋藤洋三がスギ花粉症を報告、1964年に「栃木県日光地方におけるスギ花粉症 Japanese Cedar Pollinosis の発見」という論文を発表した。

スギ花粉症の起源

スギ花粉症については日本固有の疾患であると考えられていた。
しかし、近年、中国の一部にある柳スギがきわめて近縁、または同一種と考えられるようになった。
日本国内でも柳スギの花粉による花粉症患者が確認されたり、スギ花粉症を患っている患者が柳スギの花粉によってアレルギーを起こす例がみられることなどの理由から、証明をされている。

スギ花粉の飛散

スギ花粉はおよそ25~35マイクロメートルというサイズで、風に乗って遠距離を飛散する。
10キロメートル以上、ときには300キロメートル以上も離れた場所から飛んでくることが知られている。
だが、地形などによって空中花粉数は異なってくる。
例えば、日本の関東平野は周囲を山地に囲まれているため、どちらから風が吹いても大量の花粉が飛散してくるといわれている。
片側が海に面している地域であれば、原則的には海風のときは花粉は飛散してこないことになる。

特徴

大量飛散の翌年は、たとえ飛散量がある程度少なくとも、症状が軽くてすむ患者ばかりではないことが知られている。
病院への受診者数なども、飛散量から予測されるよりも多い傾向がある。
大量飛散により重症化し、過敏性が高まったまま翌シーズンを迎える患者が多いためと考えられている。

将来予想

林業におけるスギ伐採量の見通しや地球温暖化など気象の影響を考慮すると、ゆるやかではあるが今後も花粉の飛散量は増え続けると考えられている。
村山貢司による予測によれば、2050年には現在の1.7倍(最近1.61倍という数字も出された)まで花粉量が増え、患者数も1.4倍になるだろうと見積もられている。

林業資源として、植生を無視してスギばかりを植林した弊害と指摘する説もある。

スギ花粉症の発症メカニズム・症状・治療

スギ花粉症の発症メカニズム・症状・治療は、その他の花粉症とほぼ同じであり、スギ花粉症特有の特記すべき事項がない。
詳細は花粉症を参照のこと。

スギ花粉症の研究

スギ花粉とヒノキ花粉の交叉性がある、という研究がある。

日本国内での情報

日本人患者が多いスギ花粉症に対しては、花粉の飛散状況について大衆に周知するシステムが発達している。
そのシステムにつき、以下にまとめた。

飛散の定義

「飛散開始日」とは、その日の1平方センチメートルあたりの花粉観測数が連続して1個以上になった最初の日をさし、実際には飛散開始日よりも前に少量の飛散は始まっている。
敏感な患者はそれより前に発症するというが、現実にはかなりの率の患者が症状を呈しているという調査もあり、「飛散開始日」の意義に疑問を呈する見方もある。

花粉飛散量

日本の組織的なスギ花粉の調査は、1965年に現国立病院機構相模原病院が開始したものが最初である。
同病院のデータの分析結果では、現在の花粉量は当時の2~3倍程度となっている。
スギ花粉症が社会問題化したころである1982年の飛散量は1965年の約4倍に達した。
発症者が増えた原因の第一は、花粉飛散量が増え、それに曝露された者が増えたためであることは明らかである(上記の地域別有症率との相関もこれを支持する)。

飛散量の増加の原因は、戦後、建材および治水・治山の目的で全国に広くスギが植林され、それらが1960年代後半より花粉生産力の強い樹齢30年程度に達し始めたためである。
そうした花粉生産量の多いスギ林の面積は増え続けている(社会的側面の項を参照)。

近年では飛散期間の長期化の指摘もある。
これは、やや遅れて植林されたり、成長が遅れていた標高の高い地域のスギの開花が、平地での開花に引き続いておこるためと考えられている。
温暖化によって、飛散開始が早まっている傾向があるとの指摘もある。

スギの着花量は夏の天候に左右される。
しかし、必ずしもそればかりの影響のみにては決まらず、果樹などにおいて表作・裏作があるのと同様に、飛散量は1年おきに増減を繰り返すか、2~3年で増減を繰り返すパターンがよくみられる。
ただし、それに当てはまらない場合もあり、たとえば関東地方における2000年から2003年における、4年連続の大飛散のようなこともある。
近年においては、1995年および2005年が記録すべき大量飛散の年であった。

花粉予測

日本気象協会が日本初の一般向けスギ花粉情報を開始したのは1987年3月9日である。
1985年より行われている東京都衛生局の予測等をもとに、東京都心と多摩地域向けに毎日の飛散予報を出すようになった。
同年には京都市、仙台市なども住民サービスとして情報を出すようになっている。
現在では、新聞・テレビ(天気予報など)・インターネット(携帯電話、電子メール含む)・テレホンサービスなどで、地域ごとの毎日の飛散予測が出されている。

シーズン(スギ花粉症の場合)の前年の晩秋にスギのつぼみのようすなどから飛散量の予測が出される。
その他、気候(気象)の影響なども影響し、量や飛散開始時期などに差が出る。

シーズン前には平年に比較して飛散量が多いか少ないかの予測も出されるが、平年とは過去10年平均であり、その平均値そのものが増加し続けているため、予測値の解釈には注意が必要である。
たとえば2006年現在で「平年の60%の飛散量」と言った場合、それは10年前の平均値とほぼ等しい。
また、東京の例でいえば、2006年現在の平年値は、前述の2000年から2003年における4年連続の大飛散とほとんど等しい。
すなわち、平年より少ないとの予報であっても、決して絶対量が少ないとは限らない。

こうした「今年は多い/少ない」の予測、たとえば「少ない」との予測が出されると、患者の多くは安心してしまい、対策がおろそかになることがある。
さらに、たとえ「今シーズンは少ない」との予測が出されても、それは毎日の飛散量が少ないことを保証するものではないので注意が必要である。

スギ花粉症の行政対策

スギ花粉症に対する行政の政策に関しては日本人の患者数が多いため、日本では活発に対策・議論が行われている。
その一例を以下に記した。

日本

日本政府においては、1990年度に「スギ花粉症に関する関係省庁担当者連絡会議」が設置され、1994年度より当時の科学技術庁によって数年間に渡る「スギ花粉症克服に向けた総合研究」が実施された。
2004年度からは会議の名称が「花粉症に関する関係省庁担当者連絡会議」と改められ、2005年度からは基礎研究などよりさらに踏み込んだ具体的な取り組みがなされるようになった。

こうした行政の動きに関しては、自由民主党 (日本)内で「花粉症等アレルギー症対策議員連盟(通称ハクション議連:事務局長・小野晋也衆院議員)」が、安倍晋三ら約50名(当時)の国会議員によって1995年に設立され、本格的な対策の推進を国に働きかけるようになったことが大きく影響している。
これにより花粉症を含めたアレルギー対策に関する予算が急激に増加し、2002年度のアレルギー関連予算は7年前の27倍に達する73億7200万円にもなった。
1996年に「アレルギー科」の標榜が許可され、2003年に理化学研究所免疫・アレルギー科学総合研究センターが設立されたなどのことも議員らの働きかけによるという。

ただ、近年では未曾有の大飛散と予測された2005年のスギ花粉症のシーズン前には、各省庁が連携して広報などの対策に当たり、厚労省では公開のシンポジウムも開催したが、国を挙げての統一した施策・政策を打ち出して国民の期待に応えることはなく、シーズンが過ぎてからは目立った動きはない。

行政が行う花粉症対策とは基礎研究や治療法の開発、花粉飛散の予報技術の向上などが主であり、スギ・ヒノキ花粉発生源への根本的な対策がおろそかになっているとの指摘は従来より多くなされている。
実際に国会質疑等でも取り上げられてはいるが、答弁はその場しのぎのごまかしを繰り返すばかりであり、大きな進展はない(こうしたことは林野庁の予算が少ないためであり、国が第一次産業を軽視しているのが根本的な原因との見方もないわけではない)。

さらに、すでに複数の「関連はみられない」との結果が出ているにも関わらず、環境省では今後も大気汚染との関連を調査するという。
こうした動きは、国が過去の失政の責任を認めたくないから、いつまでも研究をやめないのだと揶揄もされている(しかし、大気汚染がさまざまな健康被害をもたらすことは確実である。近年の新たな知見にもとづいた新手法の調査が望まれよう)。
近年の新たな知見にもとづいた新手法の調査が望まれよう)。

植え替え・伐採

2005年、林野庁では、今後5年間に60万本の無花粉スギを植えるということを2005年に発表したが、1haあたり3,000本を植林すると考えればわずか200ヘクタールにすぎなかった(日本のスギ林は約453万ヘクタール)。

一方で、林野庁は花粉症対策の重点をスギの選択的な間伐に求めてきたが、2006年、花粉の抑制効果について誤解を招く発表をしていたことがマスコミの指摘により明らかになり、従来からの植え替えに消極的な姿勢に疑問が持たれることもあった。

これらの批判を踏まえ林野庁では、2008年より花粉発生源対策プロジェクトを立ち上げている。
目標は、首都圏および京阪地区に飛来する花粉の発生源を10年間で半減させるもの。
ただし、苗木供給体制の整備が進行中(少花粉スギの苗木供給を平成29年までに約1,100万本へ増強する計画)であること、森林所有者がスギ材価の低迷で伐採・植え替えに応じにくい環境にあることから、実行性はなお不透明である。

なお2008年段階で、国や都道府県及び独立行政法人などの研究機関により、少花粉スギは121品種、無花粉スギは1品種が開発されている。

シミュレーション技術
リアルタイムデータの観測やシミュレーション技術の向上は、花粉飛散の予報のみばかりではなく、同時に花粉発生源の特定に役立つ。
よって、花粉を多く発生させるところや人口密集地への影響の大きなところから林業面での対策を行うなど、効率的な取り組みができる可能性を秘めている。
このことは税金を投入して対策を行う以上、無駄なことはできるだけ避けなければいけないため、以前より指摘されてはいた。
実際に研究が行われたこともあった。

2006年5月、林野庁はそうした花粉源に関する地図を作成し、影響の大きいところから優先的に植え替えなどの対策を推進することを表明。
その後、林野庁は「花粉発生源対策プロジェクトチーム」を設置し2008年4月に報告書を取りまとめている。
報告書はの成果は、前述の花粉発生源対策プロジェクトに反映された。

緩和食品

農業生物資源研究所はスギ花粉の抗原を含んだ「スギ花粉症緩和米」の開発を進めているが、厚労省は食品とは認められないなどとしている。
野菜茶業研究所ではべにふうきという茶品種を開発し、それに含まれているメチル化カテキンが花粉症抑制に効果があると報告している。
しかし、食品について効果効能の表現は薬事法で規制されており、事実上の国の機関がそれを堂々と言うのはどうかという指摘もある。
一方、実際に製品を製造販売している大手企業は、それに関する効能効果は表現していない。
なお、この商品化を要望したのもハクション議連だとの話もある。
こうしたことから、政府の対応は患者不在の対策であると指摘され、縦割り行政の弊害が現れていると評する人もいる。

保険政策

唯一の根本的治療である減感作療法(治療の項を参照)に関しては、以前より保険での評価が低いことが普及を妨げているひとつの原因と指摘されていながら、これについても医療行政はなんらのてだてを打っていない。
また、診療・治療のガイドラインの周知徹底を図ると言ってはいるが、相変わらず不適切な治療が多く行われている事実は放置されている。
今後実用化されるであろうある新しい治療法(薬剤)に関しても、費用がかかるため、保険で認められるかどうかわからないといった心配も一部でなされている。

東京都の動き

いっぽう、1980年代後半より花粉症対策検討委員会を、1998年からはアレルギー性疾患対策検討委員会を設けるなど独自に花粉症・アレルギーに関する研究や施策を行ってきた東京都では、花粉の発生源である森林への対策を取りまとめ、2006年度より事業として始めることになった。
石原慎太郎都知事が2005年のスギ花粉飛散期に花粉症になったため、急遽具体化したと揶揄もされたが、それは真実であった。
すなわち、2006年3月10日の知事会見にて以下のように、これを認める発言をしている。
「それは私、今まで花粉症じゃなかったけど、去年あるときなってから、急きょ、問題意識が。
人間てそんなもんだよ、それは」

この計画は「花粉の少ない森づくり」というプロジェクト名で、自然保護活動家として知られる作家のC.W.ニコル氏らが代表発起人となり、多摩地域のスギ林の伐採および花粉の少ない品種のスギや広葉樹への植え替えなどを50年計画で行い、今後10年間で花粉の量を2割削減するという。
ただ、予算は充分ではなく、募金も行う。
多摩産材の消費も推進する。
単に間伐や植え替えを推進するということではなく、2割削減という具体的な数値目標を打ち出したことは画期的なことといえる。
都議会内でも超党派の東京都議会花粉症対策推進議員連盟(会長・古賀俊昭)が結成された。

こうした動きとは別に、東京都による音頭とりによって、関東の8都県市では協調して花粉症対策を進めていくことになった。
国にも対策を要請する。
その8都県市でのアンケートでは、市民が花粉症対策として行政にもっとも進めてほしいと考えているのはスギの伐採や枝打ちで、56.4%であった。

だが、本来東京都は花粉症増加の原因をディーゼル自動車の排気ガスに求め、排ガス汚染との関連はみられないという疫学調査の結果が出たにもかかわらず、その規制を強行した自治体であることは記しておかねばならない(ただし、規制そのものは花粉症のみのために行なったものではない)。
2005年シーズン前には、規制をしたので今シーズンの都民の症状は軽いはずだとのコメントを知事が述べているが、そのシーズンに当の知事が花粉症を発症しているのは日本花粉症史に残るおおいなる皮肉である。

なお、やはり東京都が実験を進めていた、スギにマレイン酸ヒドラジドを注入することにより着花を抑制するとの計画は、材質に影響が出るなどのこともあって中止となった。

避花粉地

2005年に北海道十勝支庁管内の上士幌町が避花粉地として名乗りをあげたほか、続いて2006年には鹿児島県の奄美諸島も療養や保養目的の観光客(花粉症患者)誘致を始め、これは国交省がモニターツアーの募集を行った。
こうした、花粉症ビジネスに参入する自治体の動きも記しておきたい。

ヒノキ花粉と花粉症

スギに10年ほど遅れて植林が広まったヒノキも、スギ同様に花粉生産力が強まった樹齢に次々と達している。
ヒノキの開花期はスギより遅れるものの、やや重なるため、患者が症状を呈する期間も長引く傾向がある。
(前述のようにスギ花粉症患者のかなりはヒノキ花粉にも反応する)。

ヒノキは関東以西(中部~関西)に多く植えられたといわれるが、その地域では、関東などとは違う系統のスギが多く植えられたという指摘もある。
それは樹齢30年ごろから多く花粉を飛ばす早生品種ではなく、樹齢50年ごろから多く花粉を飛ばす晩生品種といわれており、それが真実であれば関東以西ではヒノキのみならずスギ花粉もさらに増加する心配がある。
また、品種によって花粉生産量が大きく異なる。
たとえば九州のスギは花粉が少ないことなどが知られている(上記の県別有症率を参照)。

[English Translation]