どんどん焼け (Dondon-yake)

どんどん焼け(どんどんやけ)とは幕末の京都市中で元治元年7月18日 (旧暦)(1864年8月19日)から7月21日 (旧暦)(8月21日)まで発生した火災(大火)のことである。
「どんどん」とは見る間にどんどん焼け広がったさまとも、禁門の変に乗じて発生したことから鉄砲の音から名付けられたとも伝えられる。

概要
禁門の変により長州藩邸(現在の京都ホテル付近)から出火。
火の手は現在の京都御苑の西側~南東方向の広い範囲に広がり、27,000世帯が焼失した。

影響
京都御苑事自体は焼失を免れたが市中が荒廃しきったため、明治天皇が東京に行幸する動機の1つとなったとされる。

東本願寺、本能寺など多くの寺院も焼失した。

火災は、京都経済を支えてきた町衆に大きな打撃を与えた。
町衆主導で行われてきた祇園祭は翌年中止された。
翌々年には復活するものの規模は縮小された。
山鉾が消失するといった事情のほか、経済的な事情も大きかったものとされる。

六角獄舎に捕縛されていた囚人の多くは火災が延焼することを恐れた役人により、釈放されることなく斬首されている(詳細は六角獄舎の項を参照)。

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