太秦 (Uzumasa)

太秦(うずまさ)は、京都市右京区および大阪府寝屋川市にある地名。
前者が特に知られている。

「太秦」という地名の由来は諸説ある。

渡来人の豪族秦氏がヤマト王権に税を納める際、用いた絹が「うずたかくつもられた」ことから、朝廷から「うずまさ」の姓を与えられ、これに「太秦」の漢字表記を当てたという説。

秦氏の拠点であったことから、拠点という語義を「太い」という字で表し、「まさ」は秦氏の「秦」をもって表記し、「うずまさ」と呼ぶようになったという説。

古代ヘブライ語の「ウズ」(光)、「マサ」(賜物)が語源であるとする説。

広隆寺の記録などから、6世紀頃に河内国讃良郡太秦(現在の大阪府寝屋川市太秦)を本拠地とした秦河勝が、現在の桂川 (淀川水系)に灌漑工事として葛野大堰を築き、この地を朝廷より与えられ、直轄領としたかこの地に本拠を移したと考えられる。

京都の太秦

今日では京都の太秦が著名である。
京都市右京区梅津以北から京都市北区 (京都市)に挟まれた住宅地が、現在の太秦の範囲である。

かつて多くの映画会社が時代劇映画の撮影所を置いていたことで知られ、牧野省三・マキノ雅弘親子らのマキノプロ、阪東妻三郎プロ、片岡千恵蔵プロなどのほか、中小の映画会社のおびただしい数の撮影所が密集した。
やがて日活(戦時統合で大映 (映画))、松竹、東宝(前身のJ.Oスタヂオ。1941年閉鎖)など大映画会社の撮影所に集約されていった。
1950年代の時代劇最盛期はこの界隈は大変な賑わいを見せた。

大映はすでに撤退したが、東映京都撮影所(大映から旧新興キネマの京都第二撮影所を買収。一部を東映太秦映画村として公開)、松竹京都撮影所(1965年閉鎖、現在は松竹京都映画が使用)2か所のスタジオが現在も映画・ドラマなどを制作している。

太秦には、秦氏の氏寺で、国宝第1号の弥勒菩薩像を安置した京都最古の寺、広隆寺が建立されている。
秦河勝は一説に聖徳太子の参謀として活躍したといわれ、皇族との関係も深いだけに、寺には太子ゆかりの御遺品や皇族からの賜り物が、大切に多く奉られている。

鉄道は山陰本線(JR嵯峨野線)に太秦駅がある他、京福電気鉄道の2路線、京都市営地下鉄東西線が通っている。
京福電気鉄道はJR太秦駅に近接する帷子ノ辻駅から、京福北野線が北東に北区の北野白梅町駅(西大路今出川)まで、京福電気鉄道嵐山本線が西に嵐山駅 (京福電気鉄道)(嵯峨天龍寺)まで、南東に太秦地区内の太秦広隆寺駅(旧称:太秦駅)、蚕ノ社駅、嵐電天神川駅を経て、下京区の四条大宮駅(阪急京都本線大宮駅 (京都府)と連絡)までを結んでいる。
地下鉄東西線は太秦東部地区(天神川御池交差点下)の太秦天神川駅を終着駅としており、嵐電天神川駅はその乗換駅として新たに開業している。

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