伏見区 (Fushimi Ward)

伏見区(ふしみく)は、京都市を構成する11区のひとつである。
京都市内屈指の住宅地で11行政区中最大の人口を擁する。
伏見城城下町の伝統を受け継ぐ商業拠点である一方、京都市中心部や大阪市方面へのベッドタウンとしての性格をもつ。

歴史

532年(欽明2年) - 欽明天皇、山城国一帯に勢力があった秦大津父を紀郡深草里に探し右腕とする

711年(和銅4年) - 秦伊呂具によって深草稲荷神社が創建されるという

861年(貞観 (日本)4年) - 藤原北家の藤原良房が貞観寺を創建。
深草は藤原氏の領地であったとされる

874年(貞観16年) - 聖宝が上醍醐に一寺を建立、醍醐寺となす

952年(天暦6年) - 醍醐寺の五重塔が建立される

延久年間 - 橘俊綱が伏見山荘を営む

1186年(文治2年) - 後白河院が伏見殿御所に移る

1221年(承久3年) - 後鳥羽上皇、伏見城南寺に流鏑馬揃えと称し倒幕の兵を上げる

貞治年間以降、崇光天皇が伏見山荘を伏見宮栄仁親王代々の相伝地とし伏見宮家が創設

1426年(応永33年) - 丹波猿楽の矢田座が伏見御香宮の楽頭職を得る

1441年(嘉吉1年) - 伏見など京都近郊の諸村が徳政一揆を起こして洛中に押寄せる

1594年(文禄3年) - 豊臣秀吉が伏見城の城下町として町割、開発を行ない、町の原型が形作られる(現在も区内に残る地名や鍵状に曲がった道路には城下町の特徴が色濃く表れている)

1598年(慶長3年) - 豊臣秀吉、醍醐にて花見を行う

1600年(慶長5年) - 伏見城にて激戦が行われ炎上、関ヶ原の戦いの火ぶたが切られる

1601年(慶長6年) - 伏見城下に銀座 (歴史)が置かれる

1603年(慶長8年) - 徳川家康、伏見城にて大将軍宣下を受ける

1607年(慶長12年) - 松平定勝が伏見城代となる

1608年(慶長13年) - 銀座が京都に移される

1613年(慶長18年) - 京都二条と伏見の間に高瀬川 (京都府)が開通する

1617年(元和 (日本)3年) - 伏見城代が廃止される

1624年(寛永1年) - 伏見城が廃城となる。
伏見は奉行が支配する

1625年(寛永2年) - 松平定綱が淀藩の藩主となる

1694年(元禄7年) - 御香宮神社例祭の芝居・見世物が始まる

1698年(元禄11年) - 伏見奉行・建部内匠頭、伏見舟200艘の新造を許可

1736年(元文1年) - 伏見指物町の銭座で銭貨が作られる

1785年(天明5年) - 伏見騒動

1786年(天明6年) - 伏見町の人口が4万人を数える

1862年(文久2年) - 寺田屋事件

1864年(元治1年) - 長州藩が兵を率いて伏見に入る(禁門の変)

1867年(慶応3年) - 伏見奉行が廃止される

1868年(慶応4年) - 鳥羽・伏見の戦いで伏見城下が戦場となる

1895年(明治28年)2月1日 - 京都駅前(七条)と伏見下油掛の間で、営業用としては日本初の電車である京都電気鉄道開業。
(後の京都市電伏見線、1970年廃止)

1905年(明治38年)7月18日 - 旧大日本帝国陸軍第16師団 (日本軍)が深草に置かれる。

1929年(昭和4年)5月1日 - 旧紀伊郡伏見町が市制施行し伏見市が誕生(京都市へ合併前提での市制施行であった)

1931年(昭和6年)4月1日 - 伏見市、紀伊郡深草町、下鳥羽村、横大路村、納所村、堀内村、向島村、竹田村、宇治郡醍醐村の1市1町7村が京都市と合併し、伏見区が誕生

1950年(昭和25年)12月1日 - 乙訓郡羽束師村、久我村を編入

1957年(昭和32年)4月1日 - 久世郡淀町を編入

1967年(昭和42年) - 伏見港が都市計画決定。
港湾としての歴史に名実ともに終止符を打つ

区役所

伏見区役所

〒612-8511

京都市伏見区東組町681

TEL:075-611-1101(代表)

深草支所

〒612-0861

京都市伏見区深草向畑町93-1

TEL:075-642-3101(代表)

醍醐支所

〒601-1366

京都市伏見区醍醐大構町28

TEL:075-571-0003(代表)

担当郵便局

伏見郵便局(612-00・-08・-09・-80・-81・-82・-83・-84)
伏見東郵便局(601-13)
久御山郵便局(613-00・-08・-09)(伏見区の後に淀○○とつく町名)

隣接している自治体

京都市南区 (京都市)

京都市東山区

京都市山科区

宇治市

向日市

長岡京市

八幡市

久世郡久御山町

乙訓郡大山崎町

滋賀県大津市

鉄道

近畿日本鉄道近鉄京都線

(至京都駅)← 上鳥羽口駅 - 竹田駅 (京都府) - 伏見駅 (京都府) - 近鉄丹波橋駅 - 桃山御陵前駅 - 向島駅 →(至大和西大寺駅)

京阪電気鉄道京阪本線

(至出町柳駅)← 伏見稲荷駅 - 深草駅 - 藤森駅 - 墨染駅 - 丹波橋駅 - 伏見桃山駅 - 中書島駅 - 淀駅 →(至淀屋橋駅)

京阪電気鉄道京阪宇治線

中書島駅 - 観月橋駅 - 桃山南口駅 - 六地蔵駅 →(至宇治駅 (京阪))

西日本旅客鉄道奈良線

(至京都駅)← 稲荷駅 - JR藤森駅 - 桃山駅 →(至木津駅 (京都府))

京都市営地下鉄京都市営地下鉄烏丸線

(至国際会館駅)← くいな橋駅 - 竹田駅 →(近鉄京都線に乗り入れ)

京都市営地下鉄京都市営地下鉄東西線

(至二条駅) ← 醍醐駅 (京都府) - 石田駅 (京都府) → (至六地蔵駅)

路線バス

京都市営バス
京阪バス
京阪宇治バス
阪急バス
醍醐コミュニティバス

高速自動車国道

名神高速道路

京都南インターチェンジ

京滋バイパス

久御山淀インターチェンジ(一部が伏見区にまたがる)

都市高速道路

阪神高速道路阪神高速道路8号京都線

伏見出入口 - 城南宮南出入口 - 城南宮北出入口

鴨川西出入口 - 鴨川東出入口 (事業中、2011年3月開通予定)

農業

伏見区の西部・南部に水田が広がる。

工業

伝統的な日本酒の名産地として知られるほか、先進的なエレクトロニクス産業やそれをサポートする資材製造の事業所が見受けられる。

油小路通(通称新堀川通り)にはパルスプラザ(京都府総合見本市会館)があり、様々な業種による見本市や発表会が頻繁に開催されており、京都の産業を対外的にPRする拠点として重視されている。

京セラの本社所在地

日本酒の銘柄一覧京都府 (日本酒)

「英勲」 齊藤酒造

「黄桜」 黄桜

「月桂冠」 月桂冠

「松竹梅」 宝酒造

「招徳」 招徳酒造

「玉乃光」 玉乃光酒造

「月の桂」 増田徳兵衛商店

「富翁」 北川本家

「桃の滴」 松本酒造

「神聖」 山本本家

※伏見城跡を開墾した吉村家の末裔と言われる吉村酒造は、2000年に本拠地を兵庫県新温泉町へ移転。

商業

京阪沿線・近鉄沿線・地下鉄沿線では商店街や大型店が存在し、おおむね活況を呈しているといえる。
伝統的な小規模の店舗は京阪沿線に多い。
電車通学生が多いことから、アパート仲介など学生相手の商業も盛んである。
国道1号線や新堀川通沿いには郊外型の大規模小売店、飲食店や娯楽場が並んでいる。

区の南西部においては商業基盤が弱い。
公共交通が不便な代わり道路の便は良い方なので、自動車に乗って周辺地域の大型店を利用するスタイルが定着している模様。

名所

伏見稲荷大社(日本三大一覧三大稲荷も参照)

伏見桃山陵

伏見城

御香宮神社

寺田屋事件(伏見港の船宿、寺田屋事件の舞台)

伏見港(伏見港公園、伏見みなと公園)

京都競馬場

城南宮

醍醐寺(古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録)

月桂冠大倉記念館

カッパカントリー

長建寺

分区問題

伏見区は、全国の政令指定都市の中で、横浜市港北区、横浜市青葉区 (横浜市)に次いで人口の多い区である(東京特別区を除く)。
そのため、昔から分区構想が出ては消えている。

現在、伏見区には深草支所、醍醐支所、神川出張所、淀出張所があるが、主な分区構想は、このうち深草支所と醍醐支所を伏見区から分離させるものである。

しかし、深草支所管内、醍醐支所管内とも人口は10万人にも満たない(それでも東山区よりは人口が多い)ほか、深草支所管内と醍醐支所管内は接してはいるものの地域的な結びつきは希薄であることが、分区の機運が盛り上がらない要因の1つとなっている。

現在の醍醐支所管内は伏見区中心部よりも山科区との結びつきの方が圧倒的に強く、醍醐支所を分離して山科区と併合する方が合理的とする考え方もある。

[English Translation]