ダイダラボッチ (Daidarabocchi (a giant in Japanese mythology))

ダイダラボッチは、日本の各地で伝承される巨人 (伝説の生物)。
数多くの類似の名称が存在する。
このため本稿では便宜的に名称をダイダラボッチとする。
山や湖沼を作ったという内容が多いことから、元々は国づくりの神であった可能性が指摘されている。

概要

柳田国男は『ダイダラ坊の足跡』(4月中央公論社)で日本各地から集めたダイダラボッチ伝説を考察している。
ダイダラボッチは「大人(おおひと)」を意味する「大太郎」に法師を付加した「大太郎法師」で、一寸法師の反対の意味であるとしている。

名称

「でいだらぼっち」、「だいらんぼう」、「だいだらぼう」、「でいらんぼう」、「だいらぼう」、「だだぼう」等がある。
名前以外にも様々な派生が見られる。
何かをしようとするが失敗し、悔しがって去って行くという内容が多い。

通常は目の数は言及されず山を運んだりすることから相当の巨体であるとされる。
一つ目とされる場合は、目の数に言及されない場合に比較して概ね小型で身長10m程度である場合が多い。
足の数は何かを「一跨ぎ」する表現が多いことから二本足と考えられる。
一つ目とされる場合は1本足とされることが多く、一つ目入道あるいは一つ目小僧と習合したものと考えられる。

常陸国風土記

『常陸国風土記』那賀略記には、次の記述がある。

平津の駅家(うまや)の西12里(古代には12里=60町≒6.5km)に、大櫛(おおぐし)という岡がある。
大昔、巨人がおり、岡の上にいながら手が海まで届き蜃(大ハマグリ)をさらうほどであった。
巨人の食べた貝は、積もって岡になった(貝塚のこと)。
当時は大朽(おおくち)といったが、今は大櫛の岡という。
巨人の足跡は長さ40歩余、幅20歩余で、小便が穿った穴は直径20歩余であった

播磨国風土記

『播磨国風土記』の託賀郡(多可郡)の条には次のとおり同地の天が高いといい足跡が数多の沼になった大人(おおひと)伝説が記されている。
『常陸国風土記』の伝説と同種であると考えられている。
同郡では製銅が盛んだったようで、金属生産と巨人という出雲国の例との共通点もみられる。

託賀郡には昔、巨人がいて、いつも屈んで歩いていた。
南の海、北の海、東を巡ってこの地にやって来て「他の地は(天が)低くていつも屈んで歩いていた。
この地は高くてまっすぐ立って歩ける」と言った。
だからこの地を託賀(たか=高)郡という。
巨人の足跡は数々の沼になった。

地名に関する伝承

柳田國男の著書『妖怪談義』にて相模原市大沼に調査に行ったとの記述あり。
その地ではダイダラボッチの伝説は無かったと落胆しているが、ダイダラボッチ伝説があるのは北に5kmほどずれた鹿沼であった。

土地によって伝承される内容が異なり、作ったとされる山や沼も異なる。

東日本の大きな火山にまつわる伝承が比較的多い。

山を作る・運ぶ
富士山を作るため、甲州の土をとって土盛りした。
そのため甲州は盆地になった。

上州の榛名富士を土盛りして作った。
掘った後は榛名湖となった。
榛名富士が富士山より低いのは、もう少し土を運ぼうとしたが夜が明け、途中でやめたためである。

浅間山が、自分より背の高い妹の富士山に嫉妬し、土を自分にわけろといった。
富士山は了解し、だいだらぼっちが自分の前掛けで土を運んだ。
しかし浅間山は土の量が足りないと怒り、彼を叩いた。
その際にこぼれた土が前掛山となった。
怒りだした浅間山はついに噴火してしまった。

西の富士、東の筑波と呼ばれる関東の名山の重さを量ろうとし天秤棒に2つの山を結わえつけ持ち上げると、筑波山のほうは持ち上がったが富士山は持ち上がらない。
そのうちに結わえていたつるが切れ、筑波山が地上に落ちてしまった。
その衝撃でもともと1つの峰だった筑波山は、2峰になってしまったという。

足あと・手のあとを残す
上州の赤城山に腰掛けて踏ん張ったときに窪んで出来た足跡が水たまりになった。
木部の赤沼がそれである。

長野県大町市北部の青木湖、中綱湖、木崎湖の仁科三湖はダイダラボッチの足あとである。

茨城県水戸市中央部の千波湖は、かなり大きいがダイダラボッチ(この地方ではダイダラボウ)の足跡である。

遠州の山奥に住んでいた巨人ダイダラボッチが、子どもたちを手にのせて歩いている時に、腰くらいの高さの山をまたいだ拍子に子どもたちを手から投げ出してしまった。
びっくりした子どもたちとダイダラボッチは泣き出してしまい、手をついてできた窪みに涙が流れ込んで浜名湖となった。

現在、東京都世田谷区にある地名「代田」(だいた)やさいたま市の「太田窪」(だいたくぼ)はダイタラボッチの足跡である。

静岡市のだいらぼう山頂には全長150mほどの窪みがある。
ダイダラボッチが左足を置いた跡と伝えられている。
琵琶湖から富士山へ土を運ぶ途中に遺したものであるという。

相模原市の伝説ではデイラボッチと呼ばれ、富士山を持ち上げ違う場所に運ぶ途中、疲れたので、富士山に乗っかり休んだ。
そこにまた根が生えてしまいもちあげようとするが、持ち上がらずそのときふんばった所が今の鹿沼であるという。

小便をしようと飯野山(香川県中部)に足をかけた際に山頂付近に足跡が付いた。
(現在もその跡であるという伝説の足跡が残っているが非常に小さい。)
なお、その小便の際に出来たのが大束川といわれる。

休む・洗う
榛名山に腰掛けて、利根川で脛を洗った(ふんどしを洗ったという説もある)。

羽黒山 (栃木県)には人間がまだ誕生しない大昔、でいだらぼっちが羽黒山に腰掛けて鬼怒川で足を洗ったという言い伝えがある。

長野県塩尻市の八ヶ岳中信高原国定公園はダイダラボッチが腰を下ろして一休みした場所であるという。

人間を助ける
秋田県の横手盆地が湖であったので鳥の海の干拓を行った際、だいだらぼっちが現れて水をかき、泥を掬ったため工事がはかどった。
このだいだらぼっちは秋田市の太平山三吉神社の化身と考えられる。

愛知県東海市の南側に加木屋町陀々法師(だだほうし)という地名があり、ダイダラボッチが歩いて移動する際に出来た足跡が池になったとして伝説が残っている。
名古屋鉄道八幡新田駅西側にあったが頃に埋め立てられて現在はその形跡ない。

[English Translation]