文殊菩薩 (Monju Bosatsu (文殊菩薩))

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、サンスクリットマンジュシュリー (maJjuzrii)は、大乗仏教の崇拝の対象である菩薩の一尊。
一般に智慧を司る仏とされる。

文殊は文殊師利(もんじゅしゅり)の略称。
また妙吉祥菩薩(みょうきっしょうぼさつ)などともいう。
曼殊室利等とも音写し、妙吉祥、妙徳、妙首などとも訳す。
文珠菩薩とも書く。

三昧耶形は青蓮華(青い熱帯スイレンの花)、利剣、梵篋(ヤシの葉に書かれた経典)など。
種子 (密教)(種字)はマン(maM)。

概要

『文殊師利般涅槃経』によると、舎衛国の多羅聚落の梵徳というバラモンの家に生まれたとされる。
また一説に釈迦十大弟子とも親しく仏典結集にも関わったとされる。
『維摩経』には、維摩居士に問答でかなう者がいなかった時、居士の病床を釈迦の代理として見舞った文殊菩薩のみが対等に問答を交えたと記され、智慧の菩薩としての性格を際立たせている。
この教説に基づき、維摩居士と相対した場面を表した造形も行われている。

文殊菩薩はやがて『維摩経』に描かれたような現実的な姿から離れ、後の経典で徐々に神格化されていく。
釈迦の化導を扶助するために菩薩の地位にあるが、かつては成仏して龍種如来、大身仏、神仙仏などといったといわれ、また未来にも成仏して普見如来という。
あるいは現在、北方の常喜世界に在って歓喜蔵摩尼宝積如来と名づけられ、その名前を聞けば四重禁等の罪を滅すといわれ、あるいは現に中国山西省の清涼山(五台山)に一万の菩薩と共に住しているともいわれる。
また『法華経』では、過去世に日月燈明仏が涅槃した後に、その弟子であった妙光菩薩の再誕が文殊であると説かれる。

なお、これらはすべて大乗経典における記述によるものであり、文殊菩薩が実在したという事実はない。
しかし文殊は観世音菩薩などとは異なり、モデルとされた人物が存在していたと考えられており、仏教教団内部で生まれた菩薩であると考えられている。

文殊菩薩が登場するのは初期の大乗経典、特に般若経典である。
ここでは釈迦仏に代って般若の「空(くう)」を説いている。
また文殊菩薩を「三世の仏母(さんぜのぶつも)」と称える経典も多く、『華厳経』では善財童子を仏法求道の旅へ誘う重要な役で描かれるなど、
これらのことからもわかるように、文殊菩薩の徳性は悟りへ到る重要な要素、般若=智慧である。
尚、本来悟りへ到るための智慧という側面の延長線上として、一般的な知恵(頭の良さや知識が優れること)の象徴ともなり、これが後に「三人寄れば文殊の智恵」ということわざを生むことになった。

また、中国の娯楽小説『封神演義』には普賢真人、文殊広法天尊という仙人が登場しており、彼等が後に仏門に帰依しそれぞれ普賢菩薩、文殊菩薩となったという設定になっているが、これは後世の全くの創作である。

中国においては、山西省の五台山が文殊菩薩の住する清涼山として古くより広く信仰を集めており、円仁によって日本にも伝えられている。

また中国天台宗系の書である『仏祖統記』巻29には、「文殊は今、終南山に住み給えり。杜順和上はこれなり」と、中国華厳宗の祖である杜順を文殊菩薩の生まれ変わりであるとしている。

建州女真族の本尊とされ、その名にちなみ満洲(満州民族)と自称。
ホンタイジ以降、全ての女真族の呼称に代え満洲族と呼称するようになった。
したがって満州の名は文殊が語源であるとされる。

日本においては、奈良時代の僧行基が文殊菩薩の生まれ変わりだという伝説がある。

像容

普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍をつとめる(参照:釈迦三尊)ほか、単独でも広く信仰されている。

文殊菩薩像の造形はほぼ一定している。
獅子の背の蓮華座に結跏趺坐し、右手に智慧を象徴する利剣(宝剣)、左手に経典を乗せた青蓮華を持つ。
密教では清浄な精神を表す童子形となり、髻を結う。
この髻の数は像によって一、五、六、八の四種類があり、それぞれ一=増益、五=敬愛、六=調伏、八=息災の修法の本尊とされる。

また、騎獅の文殊、先導役の善財童子、獅子の手綱を握る優填王、仏陀波利、最勝老人を従える文殊五尊像も造形された。

また禅宗においては、修行僧の完全な姿を表す「聖僧」(しょうそう)として僧堂に安置され、剃髪し坐禅を組む僧形となる。
この場合、文殊もまた修行の途上であるとの観点から、菩薩の呼称を避け文殊大士(だいし)と呼ぶことがある。

日本における作例としては、奈良の興福寺東金堂の坐像(定慶作、国宝)や安倍文殊院の五尊像(快慶作、重要文化財)、高知の竹林寺 (高知市)の五尊像(重要文化財)などが見られる。

真言

オン・アラハシャノウ

[English Translation]