広如 (Konyo)

広如(こうにょ、寛政10年(1798年)-明治4年(1871年)8月19日は、幕末の浄土真宗の僧、西本願寺20世宗主、大僧正。
諱は光澤。

幕末には勤皇の旗幟を鮮明にし、明治以後の教団を方向付けた『御遺訓御書』をのこしている。

人物

寛政10年、河内顕証寺 (八尾市)近松暉宣の次子に生まれる。
一旦は顕証寺住職に就くが、第19世宗主本如(暉宣の兄)の養子となり、文政9年(1823年)に第20世宗主を継職。

1男4女をもうけるも早世、鷹司家より迎えた養子も早世したが、その後光尊(後の明如)が誕生。
顕証寺より迎えた徳如(継職前に死去)、明如の3門跡が揃う一時期があった。

尊皇の宗制

黒船来航後の混乱にあった安政年間、尊皇攘夷の機運が高まるなかで勤皇僧として著名であった周防の月性を重役に登用させ、広如自身も朝権への傾倒を強めていった。
1863年(文久3年)には朝廷に10,000両を献納し、宗派全体に尊皇攘夷の徹底を諭す文を出している。
翌元治元年(1864)年には亀山天皇陵の修復、同年の禁門の変では幕軍に追われた長州藩士数十名を門内に匿って逃がすなどしている。

幕府は西本願寺の勤皇姿勢に警戒を強め、長州藩士を匿ったことを理由に、会津藩に命じて新撰組屯所を壬生から本願寺門内に移させた。

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