大谷瑩潤 (OTANI Eijun)

大谷 瑩潤(おおたに えいじゅん、1890年(明治23年) - 1973年(昭和48年)5月23日)は、浄土真宗の僧。
真宗大谷派連枝。
同派函館別院住職。
同派宗務総長。
院号は信正院。
法名 (浄土真宗)は現澤。
衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)。
従四位勲二等瑞宝章。

来歴

東本願寺第22世法主・大谷光瑩伯爵(現如)の十一男として生まれる。
妻の喬子は旧小倉藩支藩主小笠原氏の出身。
1910年(明治43年)に同派函館別院住職となる。
1941年(昭和16年)~1945年(昭和20年)には宗務総長を務めた。
1953年(昭和28年)には、真宗大谷派の他の僧侶らと「中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会」を設立。
会長として日中戦争で日本に連行され現地で没した中国側捕虜の遺骨の送還をすすめた。
2000年(平成12年)5月にはこの事績を顕彰する石碑が山西省交城県の玄中寺境内に建立されている。
政治家としては、1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙に大選挙区制から出馬し当選。
1期務めたあと参議院に転じた。
1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に全国区で出馬し当選。
2期12年務めた。
入閣の機会はなかったが、第3次鳩山内閣時代に国家公安委員会政務次官を務めた。
自由党 (日本)(のち自由民主党)に所属した。
だが1960年(昭和35年)の日米安全保障条約改定に反対して離党、参議院同志会に属した。
長男の大谷演慧は瑩潤の後を継いで函館別院住職となった。
第24世法主(門首)・大谷光暢の没後には門首代行を務めた。
四男の大谷武は日中旅行社会長、社団法人日中友好協会顧問を務めた。

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