土佐坊昌俊 (TOSANOBO Shoshun)

土佐坊 昌俊(とさのぼう しょうしゅん、康治2年(1143年) - 文治元年10月26日 (旧暦)(1185年11月19日))は、平安時代末期の武将・僧侶。
土佐坊昌俊は法名であり、本名は渋谷金王丸という。
桓武平氏秩父流の渋谷重家の子。
なかなか子の授からない渋谷重家が祈願すると、金剛夜叉明王のお告げがあり、程なく男子が誕生したことから、金剛夜叉明王の上下の文字を戴き「金王丸」と命名したと言う。

早くから源義朝の小姓として仕えた。
平治元年(1159年)の平治の乱でも義朝に従っていたが、義朝が平清盛に敗れると、義朝に従って戦線離脱し、尾張まで赴く。
そして永暦元年(1160年)に尾張において義朝が長田忠致のために謀殺されると、その仇を討とうとしたが果たせず、長田の兵士に取り囲まれる中で敵兵数十名を斬り殺すという凄腕を見せて満身創痍になりながらも敵中を突破する。
そして、京都に戻り常盤御前に義朝の死を知らせた後、義朝の菩提を弔うために出家し、興福寺西金堂の衆徒となり、土佐坊昌俊と号した。

その後、大和国針の荘において乱暴を働いたことから、土肥実平によって捕らえられた。
しかし、自らも平治の乱を戦い、父の義朝に従うかつての渋谷金王丸の記憶を持つ源頼朝が父に対する忠誠心などを評価したため、罪を許して家臣として迎えた。

文治元年10月(1185年11月)、頼朝の密命を受けて京都堀河にある源義経屋敷を襲撃し、義経暗殺を謀ったが失敗する。
その後、鞍馬山に逃走したが義経の手勢によって捕縛され、同年10月26日に六条河原にて斬首のうえ、晒し首とされたのである。
享年43。

金王八幡神社(金王八幡宮)
金王八幡神社(こんのうはちまんじんじゃ)が鎮座する東京都の渋谷は、土佐坊昌俊の祖父、桓武天皇の孫高望王の子孫と名乗る秩父党の河崎冠者基家(かわさきの・かじゃ・もといえ)が、1051年(永承6年)に、前九年の役での武功により与えられた武蔵国豊島郡谷盛庄(としまぐん・やもりのしょう)にあたる。
また同八幡神社は渋谷氏歴代の居城渋谷城址の一部で、1092年(寛治6年)に河崎基家が城内の一角に創建したと伝えられる。
今も金王八幡神社の一隅には、土佐坊昌俊こと渋谷金王丸を祀る金王丸影堂があり、傍らに「渋谷城・砦の石」と伝わる石塊が残る。

所在地:東京都渋谷区渋谷3-5-12
祭神:応神天皇

[English Translation]