円載 (Ensai)

円載(えんさい、生年不詳 - 元慶元年(877年))は、平安時代前期の天台宗の僧。
出身は大和国。

幼い頃から日本天台宗の祖最澄に師事し、838年(承和 (日本)5年)天台座主円澄の天台宗義に関する疑問50条を携えて唐に渡った。
天台山広修・維蠲(いけん)の「唐決」を得て弟子の仁好(にんこう)に託して日本に送った。
その後も唐に残り学識を持って宣宗 (唐)の帰依を受け、また、855年(斉衡2年)円珍とともに長安青龍寺法全(はっぜん)から灌頂を受けた。
この間、日本の朝廷から2度にわたり黄金の送金を受けていた。
877年(元慶元年)日本へ帰る途中船が難破して横死を遂げた。
なお、唐に滞在している間に破戒悪行があったとも伝えられている。

なお、唐滞在中に会昌の廃仏に遭遇し、他の多くの僧と同様に強制的に還俗させられており、妻子も持った。
これが「破戒悪行」として日本に伝わった可能性もある。
同時期に唐に滞在していた円仁も同様に還俗させられている(円仁が再度剃髪したのは帰国する直前のことであった)。
(また円仁は円載とちがって無事帰国を果たしている)。

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