不動明王 (Fudo Myoo)

不動明王 (ふどうみょうおう)、サンスクリットアチャラ・ナータ (acala naatha)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。
また、五大明王の中心となる明王でもある。

概要

密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされている。
「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれる。
アジアの仏教圏の中でも特に日本において根強い信仰を得ており、造像例も多い。

また、日蓮宗系各派の本尊(いわゆる十界曼荼羅)にも不動明王が書かれているが、愛染明王と同様、空海によって伝えられた密教の尊格であることから、日蓮以来代々種子で書かれている。
なおなお日蓮の曼荼羅における不動明王は生死即涅槃を表し、これに対し愛染明王は煩悩即菩提を表しているとされる。

三昧耶形は利剣、羂索。
種子 (密教)(種字)はカーン (haaM)、或いはカンマーン (hmmaaM)。
真言は、一般には小咒 (しょうしゅ)、一字咒 (いちじしゅ)と呼ばれる「ノウマク サンマンダ バザラダン カン」(namaH samanta vajraaNaaM haaM)が用いられる。

また、真言には、大咒 (たいしゅ)、火界咒 (かかいしゅ)と呼ばれる「ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタタラタ センダマカロシャダ ケンギャキギャキ サラバビギナン ウンタラタ カンマン」(namaH sarvatathaagatebhyaH sarvamukhebhyaH, sarvathaa traT caNDamahaaroSaNa khaM khaahi khaahi sarvavighanaM huuM traT haaM maaM)、 中咒 (ちゅうしゅ)、慈救咒 (じくしゅ)と呼ばれる「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」 (namaH samanta vajraaNaaM, caNDamahaaroSaNa sphoTaya huuM traT haaM maaM)も知られる。

起源

梵名の「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護者」を意味し、全体としては「揺るぎなき守護者」の意味である。
チベット仏教などではこの名よりもチャンダ・マハーローシャナ (caNDamahaaroSaNa)即ち暴悪忿怒尊の名でより知られる。
しかし、こちらは三眼で毛皮を身に纏い髪が逆立っているなど、日本に伝えられた不動明王とは図像的にやや異なるものである。

弘法大師空海が中国より密教を伝えた際に日本に不動明王の図像が持ち込まれたと言われる。
「不動」の尊名は、8世紀前半、菩提流志(ぼだいるし)が漢訳した「不空羂索神変真言経」に「不動使者」として現れるのが最初である。
「使者」とは、大日如来の使者という意味である。

密教では三輪身といって、一つの「ほとけ」が「自性輪身」(じしょうりんじん)、「正法輪身」(しょうぼうりんじん)、「教令輪身」(きょうりょうりんじん)という三つの姿で現れるとする。
「自性輪身」(如来)は、宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿を指し、「正法輪身」(菩薩)は、宇宙の真理、悟りの境地をそのままわかりやすく説く姿を指す。
これらに対し「教令輪身」は、仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅してでも教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくでもやめさせるなど、極めて積極的な介入を行う姿である。

不動明王は大日如来の教令輪身とされる。
煩悩をかかえ、もっとも救いがたい衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。

また、釈迦が成道の修業の末、悟りを開くために「我、悟りを開くまではこの場を立たず」と決心して菩提樹の下に座した時、世界中の魔王が釈迦を挫折させようと押し寄せたところ、釈迦は穏やかな表情のまま降魔の印を静かに結び、魔王群をたちまちに超力で降伏したと伝えられる。
不動明王はその際の釈迦の内証を表現した姿であるとも伝えられる。
穏やかで慈しみ溢れる釈迦も、心の中は護法の決意を秘めた鬼の覚悟であったというものである。
他にも憤怒の相は、我が子を見つめる父親としての慈しみ=外面は厳しくても内心で慈しむ父愛の姿を表現したものであると言われる。

伝承

「底哩三昧耶経」には大自在天 (ヒンドゥー教の最高神シヴァ)を不動明王が調伏する説話がある。

それによると、大日如来が悟りを開いて仏陀になったとき、ありとあらゆる三界の生き物たちが集会に来たが、自分こそ三千世界の主と考え慢心する大自在天だけは招集に応じなかった。

大自在天は「持明者(インドの魔法を使う精霊、ここでは夜叉明王)が使いとして来るだろうが、奴らは不浄なものを嫌うから、不浄なものを幻術で作り出し四方に張り、その中にいれば持明者の明術も役にたつまい」として結界を張り、近寄れないようにした。

不動明王が大自在天を呼びに行くと不浄の結界で覆われていたので、不動明王は不浄金剛(烏枢沙摩明王)を召還し、不浄を食らいつくさせた。
そして、ただちに不動明王は大自在天を捕らえて仏陀の元へ連行する。

しかし大自在天は「汝らは夜叉にすぎぬが、私は神々の王なのだ」と言い何回も逃げ続けた。
仏陀が「断罪すべし」と命ずると、大自在天とその妃(ウマー)を踏み殺し絶命させたのだった。
(降三世夜叉明王)

そして、大自在天の処分を尋ねると仏陀は「蘇生させよ」と言うので、法界生真言を唱えてを復活させた。
大自在天は喜び不思議がり「この夜叉は何者なのでしょうか?」と尋ねると、仏陀は「諸仏の主である」と答えた。
大自在天は感激し、万物のすべてにおいて尊い諸仏の上に、さらに諸仏の主がいることを知り、また彼が不動明王という「大王」のおかげで将来仏になれる授記をも得たのだった。

ここでは、不動明王のことを、夜叉、大王、諸仏の主と呼んでいるのが特徴的である。

像容

密教の明王像は多面多臂の怪異な姿のものが多いが、不動明王は一面二臂で剣と羂索を持つのを基本としている(密教の図像集などには多臂の不動明王像も説かれるが、立体像として造形されることはまれである)。

また、その身体は基本的に醜い青黒い色で表現される像容が多い。
これはどぶ泥の色ともいわれ、煩悩の泥の中において衆生を済度せんことを表しているといわれる。
しかし底哩経などには、身体の色は青黒か赤黄とあり、頂は七髷か八葉蓮華、衣は赤土色、右牙を上に出し左牙を外側に出す、というのが一般的とされる。

日本に輸入されてからは一面二臂像のまま異形が生じた。
特に空海や円珍による不動法が流行してからは多数の変化像を生んだ。
空海入唐の故事に因んだ波切不動(高野山南院)や、円珍の感得による黄・赤・青の三色の身色で表される不動なども生じた。
また五色不動として黒・白・赤・青・黄の眼で表される不動像も生じ、これらは現在の東京の地名である目黒 (東京都)や目白の由来では、とも言われている(ただし異説もある)

像容は肥満した童子形につくることが多く(『大日経』の出典による)、怒りによって逆巻く髪は活動に支障のないよう弁髪でまとめ上げ、法具は極力付けず軽装で、法衣は片袖を破って結んだ。
その装束は古代インドの奴隷ないし従者の姿を基にしたものとされ、修行者に付き従いこれを守る存在であることを表している。
右手に降魔の三鈷剣(魔を退散させると同時に人々の煩悩を断ち切る)、左手に羂索(けんじゃく悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せない人々を救い上げるための投げ縄のようなもの)を握りしめ、背に迦楼羅焔(かるらえん三毒を喰らい尽くす伝説の火の鳥「迦楼羅の形をした炎)を背負い、憤怒の相で粗岩(磐石(ばんじゃく))の上に座して「一切の人々を救うまではここを動かじ」と決意する姿が一般的である(日本では坐像の他、立像も数多く存在している)。

インドで起こり、中国を経て日本に伝わった不動明王であるが、インドや中国には、その造像の遺例は非常に少ない。
日本では、密教の流行に従い、盛んに造像が行なわれた。
日本に現存する不動明王像のうち、平安初期の東寺講堂像、東寺御影堂像などの古い像は、両眼を正面に見開き、前歯で下唇を噛んで、左右の牙を下向きに出した、現実的な表情(平常眼)で製作されていた。
しかし時代が降るにつれ、天地眼(右眼を見開き左眼をすがめる、あるいは右眼で天、左眼で地を睨む)、牙上下出(右の牙を上方、左の牙を下方に向けて出す)という、左右非対称の姿の像が増えるようになる。
これは10世紀、天台僧・安然らが不動明王を観想(思い浮かべる)するために唱えた「不動十九観」の影響によるものである。

時代をさらに下ると、不動明王像は天地眼による表現がほぼ完全に主流となっていったが、天地眼の刻み方が一般的になっても、運慶の静岡・願成就院の不動明王・二童子立像など、一部には両目を見開き、牙が両方とも下を向いて咬んでいる古来の相に倣って刻まれた平常眼像が見受けられる。

願成就院の不動明王像とほぼ同時期に運慶が制作した、神奈川県・浄楽寺の不動明王立像は、胴部が願成就院とほぼ同一の造形であるものの顔面が天地眼の相で彫られていることから、運慶が相の彫り分けを行っていたことが伺える。
相が平常眼か天地眼かは単に時代の変遷によるものとは限らず、依頼主・発願主の意向や目的等によって彫り分けていた可能性がある。
ヒノキ材の寄木造りの本像は、小仏師十人と共に運慶が、和田義盛の発願によって造像したことが分かっている。

不動三尊・不動八大童子

不動明王は、八大童子と呼ばれる眷属を従えた形で造像される場合もある。
ただし、実際には八大童子のうちの二名、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を両脇に従えた三尊の形式で絵画や彫像に表わされることが多い(不動明王二童子像または不動三尊像と言う)。
三尊形式の場合、不動明王の右(向かって左)に制多迦童子、左(向かって右)に矜羯羅童子を配置するのが普通である。
矜羯羅童子は童顔で、合掌して一心に不動明王を見上げる姿に表わされるものが多く、制多迦童子は対照的に、金剛杵(こんごうしょ)と金剛棒(いずれも武器)を手にしていたずら小僧のように表現されたものが多い。

八大童子の残り六名は、慧光(えこう)童子、慧喜(えき)童子、阿耨達(あのくた)童子、指徳(しとく)童子、烏倶婆伽(うぐばが)童子、清浄比丘(しょうじょうびく)である。
これら八大童子の彫像の作例としては、高野山金剛峯寺不動堂に伝わった国宝の像がよく知られる。
東京都世田谷区の世田谷山観音寺には、鎌倉時代の仏師・康円(運慶の孫)作の不動明王及び八大童子像があるが、これは奈良県天理市にあった廃寺・内山永久寺から移されたものである。

なお、不動明王の眷属として八大童子を配することは、サンスクリット経典には見えないようで、中国で考案されたものと言われている。
この他に三十六童子、四十八使者と呼ばれるものがある。

また東寺のように五大明王と呼ばれる主要な明王の中央に配されることも多い。

主な経典

大日経の他、特に修験道において好んで読誦されるものが多い。
代表的なものを幾つか挙げる。

聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経 (しょうむどうそん だいいぬおう ひみつだらにきょう)
大日如来の大法会で普賢菩薩が文殊菩薩と衆生に向かって自らの感得した不動明王について教えを説き、大日如来がお墨付きを与えるという筋書き。
なお太平記において日野資朝の息子阿新丸による仇討ちの話中、行者が明王に祈念して舟で追手の手から逃げのびるシーンは、「大法の船を設け普く苦海を度して彼岸に到らしむる」という部分のオマージュである。

仏説聖不動経(ぶっせつ しょうふどうきょう)
前述の経典の教えのエッセンスを短くまとめたもので、日本で成立したもの。
不動明王自身が教えを説くという形式を採る。
衆生の心の有り方は一様でない(悟りに到る道も個々によって異なる)ので心の中に住み(修行者自身が不動明王である)、各々に合わせて姿を変え願いを叶えるという内容が説かれている。

稽首聖無動尊祕密陀羅尼経(けいしゅ しょうむどうそん ひみつだらにきょう)
印を結ぶ動作が加わるなど、密教色の極めて強いものとなっている。

以下四つは他の尊格や日本の神々をも代表する存在であるとした讃嘆経に類するもの。
他の神仏に優る超越的絶対者としてではなく、衆生の心のあり方は一様でないので悟りに到る道も個々によって異なるという前述の思想を受けたものと考えられている。

不動尊劔の文
不動尊祈り経
不動明王利益和讃
五體加持
その他、関連するものとして
五大力
南無三十六童子
南無八大童子

不動明王を祀る主な日本の寺院

宮城・松島瑞巌寺五大堂 (秘仏)木造不動明王坐像(五大明王のうち)(平安時代、重要文化財)
千葉・成田山新勝寺 木造不動明王二童子像(鎌倉時代、重要文化財)
東京・瀧泉寺(目黒不動)
東京・金剛寺 (日野市)(高幡不動) 木造不動明王二童子像(平安時代、重要文化財)
神奈川・大山寺 (神奈川県) 鉄造不動明王二童子像(鎌倉時代、重要文化財)
富山・日石寺 不動明王坐像(凝灰岩磨崖)(平安時代、重要文化財)
滋賀・延暦寺 木造不動明王立像(鎌倉時代、重要文化財)
滋賀・石山寺 木造不動明王坐像(平安時代、重要文化財)
滋賀・西明寺 (甲良町) 木造不動明王立像(平安時代、重要文化財)
京都・東寺講堂 木造不動明王坐像(五大明王のうち)(平安時代、国宝)
京都・東寺御影堂 木造不動明王坐像(平安時代、国宝)
京都・鹿苑寺(金閣寺) 石造不動明王像
京都・同聚院(東福寺塔頭) 木造不動明王坐像(平安時代、重要文化財)
奈良・東大寺法華堂 木造不動明王二童子像(南北朝時代、重要文化財)
奈良・新薬師寺 木造不動明王二童子像(平安時代、重要文化財)
奈良・唐招提寺 木造不動明王像(江戸時代、重要文化財)
奈良・長谷寺 木造不動明王坐像(平安時代、重要文化財)
大阪・観心寺 木造不動明王坐像(南北朝時代、重要文化財)
大阪・瀧谷不動明王寺 木造不動明王二童子像(平安時代、重要文化財)
和歌山・金剛峯寺 木造不動明王立像(平安時代、重要文化財)
和歌山・金剛峯寺(護摩堂) 木造不動明王坐像(鎌倉時代、重要文化財)
和歌山・高野山南院 木造不動明王立像 (波切不動)(平安時代、重要文化財)
兵庫・神呪寺 木造不動明王坐像 (平安時代、重要文化財)

三不動

黄不動-滋賀・園城寺(三井寺)蔵 絹本着色不動明王像(国宝)
青不動-京都・青蓮院蔵 絹本着色不動明王二童子像(国宝)
赤不動-和歌山・高野山明王院蔵 絹本着色不動明王二童子像(重要文化財)

なお江戸の名所としての『三不動』については五色不動を参照。

関連霊場

東北三十六不動尊
関東三十六不動
近畿三十六不動尊
四国三十六不動

[English Translation]