長谷寺 (Hase-dera Temple)

山号 豊山(ぶざん)
宗派 真言宗豊山派
寺格 総本山
本尊 十一面観音(重要文化財)
創建年 奈良時代(8世紀前半)
開基 道明
正式名 豊山 神楽院 長谷寺
別称 花の御寺
札所等 西国三十三箇所8番真言宗十八本山16番神仏霊場 巡拝の道 第35番
文化財 本堂、長谷寺経、銅板法華説相図(国宝)木造十一面観音立像、仁王門ほか(重要文化財)

長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市にある真言宗豊山派(ぶざんは)総本山の寺院。
山号を豊山神楽院と称する。
本尊は十一面観音、開基(創立者)は道明上人とされる。
西国三十三箇所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られる。

大和国と伊勢国を結ぶ伊勢参宮街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。
初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬~5月上旬は150種類以上、7,000株と言われる牡丹が満開になる。
当寺は古くから「花の御寺」と称されている。
また「枕草子」、「源氏物語」、「更級日記」など多くの古典文学にも登場する。
中でも「源氏物語」にある玉鬘 (源氏物語)(たまかずら)の巻のエピソード中に登場する二本(ふたもと)の杉は現在も境内に残っている。

起源と歴史

長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半と推定されるが、創建の詳しい時期や事情は不明である。
寺伝によれば、天武朝の朱鳥元年(686年)、道明上人が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に三重塔を建立、続いて神亀4年(727年)、徳道上人が東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山したという。
が、これらのことについては正史に見えず、伝承の域を出ない。

長谷寺は平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集めた。
万寿元年(1024年)には藤原道長が参詣しており、中世以降は武士や庶民にも信仰を広めた。

長谷寺は東大寺(華厳宗)の末寺であったが、平安時代中期には興福寺(法相宗)の末寺となった。
16世紀以降は興教大師覚鑁(かくばん)によって興され頼瑜僧正により成道した新義真言宗の流れをくむ寺院となっている。
天正16年(1588年)、豊臣秀吉により根来山を追われた新義真言宗門徒が入山し、同派の僧正専誉により現在の真言宗豊山派が大成された。

十一面観音を本尊とし「長谷寺」を名乗る寺院は鎌倉の長谷寺をはじめ日本各地に多く、他と区別するため「大和国長谷寺」「総本山長谷寺」等と呼称することもある。

伽藍

入口の仁王門から本堂までは399段の登廊(のぼりろう、屋根付きの階段)を上る。
本堂の西方の丘には「本長谷寺」と称する一画があり、五重塔などが建つ。
国宝の本堂のほか、仁王門、下登廊、繋屋、中登廊、蔵王堂、上登廊、三百余社、鐘楼、繋廊が重要文化財に指定されている。

本堂(国宝)-本尊を安置する正堂(しょうどう)、相の間、礼堂(らいどう)から成る巨大な建築で、前面は京都の清水寺本堂と同じく懸造(かけづくり、舞台造とも)になっている。
本堂は奈良時代から室町時代の天文 (元号)5年(1536年)まで7回焼失している。
7回目の焼失後、豊臣秀長の援助で天正16年(1588年)に新しい堂が完成した。
その後、堂の雨漏りや傷みが激しいため、修理ではなく新築することとなった。
徳川家光の寄進を得て、5年がかりの工事の後、慶安3年(1650年)に新築落慶したのが現・本堂である。
高さ10メートル以上ある本尊・十一面観音像は、天文5年の本堂焼失の2年後に完成しており、慶安3年の新本堂建設工事は本尊を原位置から移動せずに行われた。
そのため、本堂は内陣の中にさらに内々陣(本尊を安置)がある複雑な構成となっており、内々陣は巨大な厨子の役目をしている。

近世前半の大規模本堂の代表作として、2004年12月、国宝に指定された。

国宝

本堂(既述)

銅板法華説相図-法華経の見宝塔品(けんほうとうほん)で、釈迦が説法していたところ、空中に巨大な宝塔が出現した場面を表現したもので、縦84センチ、横75センチの鋳銅の板に宝塔と諸仏が浮き彫り状に表わされている。
銅板の下部には長文の銘が刻まれている。
そこには「戌年」に「飛鳥浄御原で天下を治めた天皇」の病気平癒のため、僧・道明が作ったという意味のことが書かれている。
この戌年について、寺伝では天武天皇の朱鳥元年(686年)とするが、研究者の間では干支が一巡した文武天皇2年(698年)の作と見る意見が多い。
(奈良国立博物館に寄託)

法華経、観普賢経、無量義経、阿弥陀経、般若心経、計34巻-鎌倉時代に制作された「装飾経」のセットで「長谷寺経」と通称される。
本文の用紙は金銀の切箔などで装飾し、巻き軸には水晶を用いるなど、装飾をこらしている。

重要文化財

木造十一面観音立像(本堂安置)附木造難陀龍王立像及び像内納入品、木造赤精童子立像及び像内納入品

長谷寺の本尊像については、神亀年間(720年代)、近隣の初瀬川に流れ着いた巨大な神木が大いなる祟りを呼び、恐怖した村人の懇願を受けて開祖徳道が祟りの根源である神木を観音菩薩像に作り替え、これを近くの初瀬山に祀ったという長谷寺開山の伝承がある。
伝承の真偽はともかく、当初像は「神木」等、何らかのいわれのある木材を用いて刻まれたものと思われる。
現在の本尊像は天文7年(1538年)の再興。
仏像彫刻衰退期の室町時代の作品だが、10メートルを超える巨像を破綻なくまとめている。
国宝・重要文化財指定の木造彫刻の中では最大のものである。
本像は通常の十一面観音像と異なり、右手に地蔵菩薩の持つような錫杖を持ち、岩の上に立つ姿である(左手には通常の十一面観音像と同じく水瓶を持つ)。
伝承によれば、これは地蔵菩薩と同じく、自ら人間界に下りて衆生を救済して行脚する姿を表したものとされ、他の宗派(真言宗他派も含む)には見られない独特の形式である。
この種の錫杖を持った十一面観音を「長谷寺式十一面観音(長谷型観音)」と呼称する。

その他の重要文化財

仁王門

登廊5棟(下登廊、繋屋、中登廊、蔵王堂、上登廊)

三百余社

鐘楼

繋廊

三鈷柄剣

赤糸威鎧 大袖付、白糸威鎧 大袖付、鷹羽威鎧 大袖付、三目札鎧、藍韋威肩赤大袖

僻連抄

能満院所有

絹本著色地蔵十王像

絹本著色春日曼荼羅図

絹本著色十一面観音像

黒漆四方殿舎利厨子

普門院所有

木造不動明王坐像

所在地

奈良県桜井市初瀬731-1

交通

近畿日本鉄道 近鉄大阪線・長谷寺駅から徒歩15分

[English Translation]